愚かな生きもの

人はいかに生きるか。

人は愚かな生きものである。
とても当たり前で平凡な考え方だが。

愚かだから、生きるのが苦労です。

人の認識・意識は、世界の実態・現実をそのまま映してはいない。概念や言葉を使うが、世界の把握には限界がある。人は世界の表面しか認知できない。

こころは、意識されない領域が圧倒的に広大。

そんな能力で、どんなに努めても賢くなれない。

アウグスティヌスはキリスト教なので、宗教的に解釈する。人間は、神によって善なる存在として創られた。
自然本性は善なる存在であるが、
神の恵みなしで、自力で生きることを求めて傲慢になり、
その結果、罪を犯さずにいることができない状態になってしまった。原罪である。

ルターも親鸞も使徒パウロも大体同じである。
宗教は違うが、本質は同じ。
「わたしは何というみじめな人間なのだろう」

神や仏を前にしての無力さ。
神や仏にすがるしかない人間の無力さ。

なぜ人は、悪を行わずに生きることができないのか、
一度も嘘をつくこともなく、一度も悪に手を染めずに、
完全に善なる生涯を貫くのは人に不可能。

人は思いや考えもコントロールできない。
様々な欲望がある。
快楽や気晴らしや刺激を求める習性がある。

人は、こころに一点の曇りもなく、
澄み切った精神になりえない。
人間である限界。

だから、こそ、神や仏を求める気持ちが芽生える。
自力で生きるには、頼りない存在なのだ。

つづく

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