ひたすら耐える

妻を見ていると、
自分の未来を見ているよう。

食べることができなくなりつつある。
すでに、食べる量は3分の1に。

エネルギー不足で、頭は働かず、
身体も思うように動かない。
きつい、しんどい、えらい、だるい。

せめて、本やテレビでも観れるなら、
退屈しのぎになるだろうに。

人は死期が近ずくと、
身体中が死への準備に入るのだろう。

元気な間は、美味しいものがある。
楽しいことがある。
時間の充実がある。

弱ってくると、
時間の充実がなくなる。
ただひたすた耐えるだけ。

死へとたどるみちは、
人が必ず行く道。
そこを通るのが、人の宿命。

たぶん、私も弱ると、
瞑想ができなくなる。
瞑想できないと、私は少しつらい。

横になって目を閉じて、
過去の良い体験を思い出す。
そんな力が残っているなら、幸いだが。

苦しむ人を見て、
「お気の毒に」と言う人たちがいる。
「ご愁傷さま」とか。

「お気の毒に」が必要な人は、
今まさに成功のただ中にいる人。
幸せの絶頂にある人、
この人たちは本当に気の毒。

人は死を悼む、悲しみ嘆くという。
もし悲しみ嘆くなら、
生きている人たちこそ、悲しみ嘆く対象にふさわしい、
生きることは、哀れなことである。

どんなことがあっても、ひたすた耐えるのは
生きている証拠だが。
時に楽しい充実もあるが。
それも長くは続かない。

生きていることは、ある意味、
ひたすら耐えることかもしれない。

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