友人の死

最近、同級の死を聞くことが増えた。

少し前まで元気だったのに、
死んだことが信じられない思い。

私の実感では「人に死はない」。
何度も同じことをいうようだが。
死の直前に意識を失うので、
死を体験するのは人に不可能。
体験できないことは、ない、と同じ。

死体が歴然と存在するので、
人は死があると思ってしまうが、
それは、物体にすぎない。
そこに、死んだ人はいない。

死んだ人はどこに行ったのか、
どこにも行っていない。
もともと、いなかったのだ。

人が生きるのは、今、この瞬間だけ。
過去も未来も生きられない。
この瞬間が突然に消える。
それを死という。

死んだ当人にとって、
死の一瞬前まで生きているが、
死の瞬間で生は途切れる。

人の生は、意識とともに生じる。
意識がなくなれば、生もない。

その意識がどのように生まれるのか、
それを探求するのが、
私の老後の楽しみ。

意識は、胎児からの体験と実感で育っていく。
しかし、体験も実感も、周囲の大人が操作しているようなもの。
意識的に操作している訳ではないが。

もし、母親が多忙で、赤子の顔を見ることもなく、
声をかけることもなく、最低限の世話しかしないと、
赤子は、声を出さない、言葉も話さない、表情もない、
感情が正常に育たなくなる。
そういう子は、生きるのが大変になる。

社会生活の基礎となる意識が育たないのだ。

つづく


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