葬儀をしない理由

葬儀はしないと書いた。
何故しないのか。

理由、
死体はあるが、当人はそこにいない。
死体は当人の過去のイメージを伝えるだけ。

私の考えでは、人は死なない。
何故なら、当人に今はない。

意識があるから今がある。
意識がなくなれば、今はない。

意識がなくなるのは眠りに陥るのと同じ。
普通、眠るのを死ぬと言わない。

眠っている当人は、どこにもいない。
それと同じ。

さらに、過去、当人が生きていたという事実。
これが、かなり怪しい。

例えば、私は今、生きている。
意識あるから、それが分かる。

しかし、意識がつくるこの世界、
あくまでも、意識がつくっているだけ。
そこには確かなものはない。

ある意味、幻影とも云える、マボロシとも云える。

勿論、生きている間は、
マボロシでも幻影でも、満足できる。

なぜなら、人が生きるというのは、そういうことだから。

過去、私の大事な友人のうち、
数名以上が死んでいる。

しかし、どう考えても、私には
彼らが死んだと認識できない。

消えたことは明白に分かる。
何故なら、連絡できないから。

しかし、連絡できない人は無数にいる。
その中の一人になっただけ。

妻の病気を知り、気の毒だという人がいる。
私に言わせると、
どこが気の毒だろう。

今生きている人の方がもっと、気の毒。
そして、あわれ。

妻との人生は、私にとって、
満天の星空の下、砂丘を旅するような感じ。

明日も知れない、不思議な冒険。

それが、やっと、終わるという安心がある。

人生の終わり、
もっとも喜ぶべき。
祭りこそ、ふさわしい。

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