人が生きるとは

年取るのは、最高。
若い頃にできなかったことが、いっぱいできる。

私は74歳、
人によっては「老後ではない、現役」という方もいるが、
私は余生と思っている。

今日倒れるか、
今年倒れるか、
それとも10年後かは、分からない。
しかし、緊張は持続する。

末期ガンの方に比べれば、
緊張の度合いが違うだろうが。

この緊張感こそ、老人の特権だと思う。
壮年期には、なかったもの。
生きるとは、こういうことかと、
感じることができる緊張感。

近所の公園を散歩する。
いつもの顔がいる。
私よりも年長、途中で休憩しながら、
歩いている。
そのガンバリがすごい。

歩かないと弱って死ぬというのが、
痛いほど伝わってくる。

公園では子どもたちが、
サッカーや野球で飛び回っている。
その軽快な動き。
まるで、生命がなまのままに、スキップしている。

こちらは、消えゆくろうそく。
少しの風にも、ふるえる。
これが緊張。
たぶん、ふるえているのだと思う。

90や100までも生きて、
「70はまだまだ小僧だ」とか言う人もいる。
私の親父は94歳で肺気腫で亡くなったが、
死ぬ瞬間まで、
自分が死ぬと思わなかったよう。
たぶん、親父は緊張もふるえもない人だった。
そういう人もいる。

この緊張とふるえこそ、
いのち、そのもの、のような気がする。

飛び跳ねているのは、
いのちではなく、あれは生きものの生命。
大草原を野生の馬が駆けぬけるような生命。

いのちは生命にくらべて、
つつましく、よわく、はかないもの。
だが、
生命より、いのちの方がいい。

たぶん、このよわさこそ、
生きるのあたいするからだと思う。

人が生きるのは、
弱さやあわれさや限界の中で、
ふるえながら生きること。

若い頃は万能感(幻想)はあるが、
何もなせない。

年取ると、幻想はなくなるが、
できることが増えてくる。


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