町と物語をうろつく、或いは帰路を探す

 ひとり暮らしをはじめて1年が経つ。

 自分しかいない部屋にいれば、書き物が捗るぞ! と当初は思っていたけれど、そんなことなかった。まとまった長さの小説なんて、久しく書いていない。書けていない理由はまあ、いろいろ御座いますが、それは置いておいて。

 ウチじゃない場所に引きこもって作業しようと思い、ネットカフェに行った。実家の近くにあるお気に入りのチェーン店の別店舗だ。何の疑いもなく求めている環境がある前提で行ったら、実家の近くのとこと違った。なんかほんのり臭い、ビカビカの蛍光灯、バラエティの少ないドリンクバー、なんかほんのり臭い、洗面所の流水音丸聞こえ、とにかくなんかほんのり臭い……

 ドリンクバーのソフトクリームを食べまくって40分で出た。350円。これならチェーンのカフェでコーヒーを頼んで、ぼんやり創作のことを考えたほうがよかったんじゃないか。今からそれをやりたいのも山々だが、ソフトクリーム食べ過ぎて気持ち悪い。カロリミット飲んでないし。えーん。

 いったんは帰宅したものの、やっぱり家で書く気になれない。風はあるが天気はいいし、コートなんか着たら暑いぐらいだ。ちょっと散歩しよう。スマホと財布と鍵を上着のポケット(4つもついてる。べんり)につっこみ、思い立った時にしか行かないところへ出て行った。

 いま私が暮らしている町は、私が生まれ、小2の夏までを過ごした、横浜市のささやかな住宅街である。部屋を探していた時、たまたま職場への交通の便がよく(3か月で辞めましたけどね~)、もともと住みたかった他のエリアの候補物件よりもいい部屋があり、じゃあここで、というかんじで戻ってきた。

 そんな町をテキトーに散歩しようとすると、どうしても幼少期に住んでいたアパートや、通っていた小学校の近くをうろついてしまう。とにかく坂が多い地域で、ちょっと登れば、なだらかな住宅街の中に鎮座するみなとみらいを臨むことができる。摩天楼然としたみなとみらいを坂の上から認めると、安心感とともに「わたしはヨコハマシティに住んでますイエ~~~」という気持ちが湧いてくる。郷愁ってヤツなんだろうか。

 ランドマークタワーばかり見つめて歩いているわけではない。おジャ魔女どれみごっこでいつもあいこちゃん役だった私が暮らしていた、平成初頭のこの町の面影を探してしまう。

 シベリアンハスキーを撫でさせてくれたでかい家、まだある。あの犬、生きてたら超長寿だよな。よくおつかいに行かされた、ジャイアンの家みたいな雑貨屋さん、建物はあるけどシャッターが降りてる。店名は消えたし、壁は塗りなおされてる。お店のおばあちゃんがさ、ソフトクリームの形したちっちゃい駄菓子をお駄賃でいつもくれたんだよね。クリスマス会だかなんだかで行った自治会の集会所もまだある。いいかんじの棒を振り回しておジャ魔女ごっこしてた公園もまだある。遊具の配置もそのまんまだ。あっ、ここにあったエログッズの自販機、飲み物の自販機になってる。商品見本のガラスが曇ってて、すごく近くまで顔を寄せないと何を売っているかわからなくて、気になって近づいたのが人生初のエロコンテンツとの邂逅だったかもしれんなあ……。

 住んでたアパートは跡形も無くなっている。手のひらサイズのわけわからん蜘蛛やブリッブリの立派なムカデが出たボロアパートがなくなり、小奇麗で立派なエントランスのついたマンションになっていた。けっこうさびしい。

 その点物語ってすげえよな、ずっとそのまんまなんだもん。

 と「その点トッポってすげえよな、最後までチョコたっぷりなんだもん」の気持ちになった。形になって発表されているもの、よほど何かの事情で改ざんがされない限り、だいたいそのまんまじゃん。すでに改ざんされた状態で出会ってても、自分が生きてる間に更にとんでもなく捻じ曲がることってほっっっとんどなくないですか……? 少なくとも自分の文化圏ではそう思う。

 ってのと同時に(わたくし、思考がしっちゃかめっちゃかなので、文章もしっちゃかめっちゃかでお伝えします)、私って架空の町ばっかり書くよなあ、実在の町をまじめに書いたことってないかもなあ、としみじみ。なんでかなあ……なんか自信がないというか……書いてみたい気持ちはあるんだけどな……。

 などと夕暮れの出身地をぶらつきながら聴いていたのは、吉田篤弘が『それからはスープのことばかり考えて暮らした』のあとがきで触れていたバンド、空気公団のアルバムだ。iTunesで検索してでてきたアルバムをジャケットで選んで聴いただけなんだけど「ははあ、なるほどね……ははあ……」となる何かがあった(いまちゃんと確認したら『音階小夜曲』をイメソンにしたって書いてあった)。いわゆる「月舟町三部作」の月舟町は、吉田氏が生まれ育った実在の町をモデルに書かれたという。

 明確に「この町をモデルにしました!」って言える小説、一昨年書いた『時には映画のように』がはじめてなんだけど、横浜と神戸をミキサーにかけたかんじだ。この作品以外にも、断片的でありながら実在の土地を思い出させる架空の町の描写って結構してるな。でも実在の町を舞台にして書くってのは、いまはまだ憚れるんだよなあ。なんだろうなあ。

 好いとこだけ閉じ込めておきたいんですかね、自分の町の中に。

 えっ、でも、わたしが書いた町って、わたしが書いたときのまま動かないんですか?

 いや、そんなことはないって思うんですけど、すくなくともわたしの中では、わたしが書いた町、いまも在るし動いてますよ。

 実在の町と同じように? エロ自販機がコーラ売ってる自販機になるみたいに?

 うーん……どうですかね……わたしが賢くて、文章力あって、スッと考えまとめられたら、もっとビシッとしたエッセイになったかもしんないんですけど、わかんないや……スーパーで安い食材買って帰ろ……

 という調子で、散歩を折り返した。小学校の通学路の途中にあった、一段だけ変な模様がついてるがゆえに「呪われている」と噂され、みんなが踏まないようにしている階段は健在だった。その都市伝説、まだある? ってそのへんの小学生に聞いてみたかったけど、勇気出なかった。わたしの中ではずっとそのままなので、呪いの階段は踏まずに飛び越えた。


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