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私の節約した哲学的ダイエット

はじめに

投稿コンテスト「#我慢に代わる私の選択肢」を見ての記事になります。
とはいえ、「我慢をしなければならない時にどのような工夫をするのか?」といった回答ではありません。

個人的な感想なのですが、「我慢」を強いられる時点で「苦痛」とセットになっているはずです。(快楽だと我慢とは言わないだろうことが前提です)
そのため、「苦痛」を和らげる方法を探すことで一時凌ぎにはなるのですが、結局は程度の大小は異なるものの「苦痛」を強いられることに変わりありません。

哲学的な悟り?

「我慢」を考える上で、我々人間の特性を知る必要があると考えています。あくまでも個人的な感想として、人間とは以下の性質があると考えています。

  • より低きに流れる性質

  • 環境適応する能力が高い性質

●より低きに流れる性質

「人間はなるべく楽な方に行く or 行きたい」と言えます。
これは一概に悪いばかりとは言えないと特性だと思っています。
なぜなら、如何に楽をするためといった原動力によって、道具の発明や改善、作業の効率化のための工夫を凝らし、各種原理原則を究明し学問化し技術体系として後世に伝え、人類にさらなる発展を遂げているからです。

しかしながら、社会的プラス方向での意識では無く、利己主義(ここでは自分だけ楽をしたいという意味)が頭をもたげてしまい、マイナス方向に意識が支配され「誰かが働いて私を養って欲しい」とか「私が楽になれば他人がどうなっても良い」といった考え方もこの副産物として出てくる可能性があります。

「我慢」が、実は社会にとって発展的な原動力になることが前提で、かつ、許容できる「苦痛」であるなら実は素晴らしいことではないでしょうか?
と、綺麗事を書き並べても、苦痛は和らぐことはありませんね。
実のところ、逆説的ではあるのですが許容範囲内の「苦痛」であれば「我慢」していないのが実態では無いでしょうか。

●環境適応する能力が高い性質

人は、あらゆる環境(気候変動では無いです)の変化に適応というか順応してしまいます。これは意識してでは無く無意識下で行われているのです。
読まれている皆さんも指摘されると自覚があるかと思うのですが、忘れている時点で順応しているのです。
感覚・知覚領域では通常,同じ刺激を持続的に与えられることによってその刺激に対する感度が低下すること(感覚的順応sensory adaptation)(コトバンク)」とも記載されていることを主に指しています。
もっと平たく言ってしまうと、「茹でガエル理論」みたいな話だと思ってください。

このことを例えると、政府や行政が12歳未満の医療全額負担を施行し、それを享受していた(12歳未満の子供がいる家庭という意味)とします。
数年後、財政の問題が発生しこの制度(12歳未満の医療全額負担)を廃止あるいは負担額を全額から減額する法改正を行う決定をした時、「生活ができなくなるので困る」とか言う人が出てくるでしょう。
「施行する前は生活出来ていなかったのか?」と。大半の方はそこまででは無いでしょうけれど、大なり小なり利益を享受し、先の例だと子供が12歳を超えた家庭を妬むような思いが出ないとは言い切れませんね。

既に自分が享受している状況は当然だと思うことは生物的に感覚的順応しているのは生理的には間違いではありません。しかしながら、感覚的順応のまま動くことは理性的であるとは呼べないでしょう。
先の例だと、「子供の医療費分を享楽費として使っているので、生活が困窮する」と厳格に言うなら、言っている内容はともかく、論理として許容することができます。
感覚的順応に支配されたまま言動では、誰の耳にも届かないと思います。
※最近では主語を大きくし、さもそれっぽく言うことや、分断と対立を煽る方が増加しているように感じるのが非常に残念です。

古来から、人間は生物学上単独(1個体)で世界の強者であったことはありません。では、なぜ現代まで人間が君臨できたのか?
NewsPicksのWeekly Ochiai で国立環境研究所の五箇公一さんが言われた内容なのですが、「他生物は利己主義(自己の遺伝子存続が目的)であるが、人間は弱いがゆえに利他主義で助け合うことにより、発展し最強の生物の座を勝ち得た」と。

程度によるのですが、ある程度までなら「我慢」しなければならない状況が発生した場合、「苦痛」に対し慣れが生じストレスが相対的に軽減化されるのだろうと考えています。
もちろん、過度な苦痛に晒され続けると精神に異常をきたし、最悪の場合には社会生活に復帰することが出来なくなります。
(私は自覚症状が出たので、会社退職し独立しましたが。)

私のダイエット方法

上まではタイトル全く無関係だと思われたかと思います。これからが本番かと思って・・・(汗)

人間はすぐに「より低きに流れる性質」と「環境適応する能力が高い性質」を持っています。この特性を無視したダイエット方法としては、新たに契約しジムに行って運動するとか、急激な食事制限などを行うといったものです。この場合、概ね長続きしません。なぜなら感覚的順応で許容範囲内と認識する「苦痛」に慣れる前に、「苦痛」に音を上げることになるのです。

「苦痛」を可能な限り感じない(「我慢」すら感じない)程度まで、長い視点をもって少しずつ取り組むことが解決方法となります。できれば中期計画(通常3ヵ年程度)を立てて、少しずつ体を慣れさせる必要があります。

  1. 急激な食事制限は不可能。1ヶ月毎に少しづつ減らし続けるといった計画を行います
    昼食のみ減らすとか、それが慣れたら夕食も少し減らすといったことをします。昼食を減らしたから夕食を増やすことはしないことが重要です。
    食事ならば、本・雑誌やテレビ等を見ながら食事することも良いでしょう。注意がそちらに向いて食事スピードが遅くなり少量でも満足を得やすくなります。

  2. 毎日晩酌している人であれば、最初は1週間で1日は飲まない日を設けます。習慣を断ち切るのは難しいので、これも出来てくると1ヶ月経過で達成出来たらもう1日追加するという具合です。

食事や晩酌なども、体が習慣化しているためこれを急激に断ち切ると、ストレスが貯まり、その負荷を解消するには食事だったり飲酒だったりするのです。(これが所謂リバウンドって言われる行動かと)

当たり前ですが、ダイエットとは摂取するエネルギーより消費するエネルギー多くすることです。そこに特別な薬剤や器具、書籍等は必要ありません。

私の場合、タバコは電子タバコにしていたので1ヶ月で禁煙できました。これも習慣化を断ち切るには多少時間が掛かりましたが可能です。
毎晩の晩酌を最初は週2日止めることに慣れたら、3日で最終的には週2日飲酒するってことに3ヶ月で週2回のみ飲酒することに到達しました。
食事は、昼食は少なめ(セブンイレブンの一膳弁当だけ)にし、夕食もサラダ中心で量はありますが、魚と少量の肉と一膳ご飯。
水分は、無糖を中心としたコーヒーやお茶。飲みたくなったら糖分入りの飲料水も飲みます。
重要なことは、以前の摂取カロリーよりも少なくし、ストレスを貯めないように配慮する点なのです。

全て、体に無理をしていない状態で実現しなければなりません。
これを一年続けると5~6Kg痩せました。元が67Kg(身長168cm)で現在は61Kgを前後しています。
現在、1年半経過して継続しています。精神力が強いと言われる人がいますが、そうでは無く無理しないように、でも少しずつ変化させ体の感覚的順応力に任せるという工夫をしただけなのです。

昔、同級生の女の子が「女の子は水を飲むだけで太る」って言っていたことを覚えています。その場では黙っていましたが、内心『そんなことは絶対無い!』って言いたかったのを我慢した記憶があります。
ご多分に漏れず、その時はきっと「苦痛」だったのだろうと。

ダイエットに限らず、現代はいろんなストレスが存在しています。
肉体的健康は機械で測定すれば、誰にでも状態が分かります。しかしながら、極度のストレスに晒され続けた場合、精神的なダメージを負うと現代の社会生活に支障を来しますので。

補足

食事量のことしか記載していませんでした。私の食事構成について気になる方もいるのかなと思います。
基本的なこととして、サラダとか野菜が好きな方は1食の量について気にする必要はありません。構成を以下のように変えます。
野菜嫌いな方は、少しずつでも野菜好きになるようにするか、量でコントロールするしか無いのでややハードルが高くなりそうです。

  • 炭水化物の量を半分にし、足りるまで野菜を大量に食べるようにします。
    最終的には炭水化物はお茶碗1膳程度までにしますが、2膳だった場合は1.7膳程度で様子見する等の調整をします。

  • タンパク質は肉より魚を中心にできれば最高です。私の経験では魚の方が太りにくい気がします。最終的には肉と魚を両方同量食べるようにして、肉の量を下げます。最初は魚を全く食べていない場合は、週1回のみ魚を食べるようにし、少しずつ調整していきます。

炭水化物ダイエットもしてみましたが、炭水化物0だとストレスが溜まってしまい、炭水化物が欲しくなり大量摂取して元の木阿弥になったことも。
炭水化物って美味しいんですよねぇ。我慢すると苦痛を伴い、抑圧すればするほどストレスが貯まり・・・って悪循環。
じゃあ、1膳のみってすれば、結構ストレスが貯まらなく長続きが出来たというのが今回の経緯です。



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