たった15万円を募金した僕の気持ち

なんでだろう。15万円。募金したんですよ。正しく使われるのかもわからないのに。

正直、募金サイトにクレジット情報を入力している時は、詐欺に騙されているのではないかと後ろ髪を引かれるような気持ちがありました。募金を受け付けている企業や団体が私腹を肥やし、被災地に効果的なサポートが出来ないのではないかと。実際に東日本大震災のときにボランティアで現地に出向きましたが、食べ物を大量に腐らせていたりヨレヨレの古着をゴミとして余らせている光景を目撃しましたことがあるためです。
それでも自宅から現地に出向くほどの行動力が無い意気地なしの僕が、他人に助けを委ねるのであれば、この際無礼な文句など言えた口ではないと腹を決めた次第です。

それでもね、SNSを見ていたら、有名人たちが「100万円募金しました!」「1000万円募金しました!」と発言しているのを見て、僕は自分のしていることが正直、ばかばかしく思えてしまって。僕は、たった15万円です。
おそらく、僕なんかよりもお金を稼いでいる方々からしたら鼻で笑ってしまうような金額ですが、僕からすると非常に苦しい出費です。それでも現地の方々の方が不安で苦しんでいる方もいることを考えての決断です。すごく重い決断だったんです。SNSで「地震大丈夫?」などと皆に問いかけたところで、大丈夫じゃないと言われたら僕に出来ることなんてありませんし、結局は現地の警察や消防、自衛隊の方々に委ねるほかありません。多くの命を奪いかねない災害を前にして、安い言葉など言えません。強い気持ちすらも無駄になってしまうような大きな自然災害を前に、僕は自分がいかに無力であるかを知るのです。
SNSを見ていると、ヘドが出ます。僕の心が捻くれているからかもしれませんが、災害を使って自分がいかに善人であるかのアピールをしているように見えてしまうのです。無論これは、間違っている見方です。活動者の皆さまは「日常」を届けたいだけなのです。普段あるものが当たり前に存在していることがどれだけ幸福かを知ってもらうために、動いているだけなのです。しかし実際に災害を利用している方々も多少いるかとは思います。それがどれほどの比率なのかわからないから、疑心暗鬼になってしまいます。少なくとも、募金の金額を言う方々の発言を見て僕は虚無感を感じてしまいました。僕の強い決意など、他の方の小銭入れに収まってしまうようなものなのだと。

「災害時はこうしてください!この情報を広めてください!」という類の書き込みも拝見しましたが、それは災害の前に発信するべきであって、多少の気持ち悪さを感じてしまいます。災害が起こったあとならば、時すでに遅しだと考えてしまうのです。二次災害を防ぐためという意図もあるでしょうけど、そういった情報は消防や自治体が発表するため個人が発信するにしても信憑性が問われ、情報が渋滞を起こし、余計な疲弊を招きます。僕は実際に胆振中越地震のときにそれを体験したことがあります。もちろん感じ方に個人差はあるでしょうが、SNSは正しい情報を得る場所ではなくいち早く世の中のトレンドを知るためのツールに過ぎないという認識を忘れてはいけないと思うのです。正義感に基づく行動なのでしょうけど、少しだけリテラシーの揺らぎを感じざるを得ません。スマートフォンのバッテリー消耗も招いてしまいますからね。

だからといって他人の正義感を頭ごなしに、かつ論理的に否定するだけのことは言いたくありません。しかし納得が出来ないのです。多くのエゴにも似た欲望がうずめいていて、他人の不安や心の弱みに漬け込むようなことを考える馬鹿を殺してやりたいのです。SNSに脳を浸しすぎて想像力が欠如した表面しか見ることの出来ない人が騒いでいるのを見ると、グロテスクで見ていられません。だから僕は今、あまりSNSでタイムラインを見ていません。心が持たないのです。災害の悲しさや虚しさよりも、災害を目の前にした人間の感情が一番怖いことを、僕は知っているからです。

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