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2023/08/04

最近はTwitterがXと名前を変えたり、西アフリカでクーデターが起こったり、ロシアとウクライナはまだ戦争しているし、世界最後の日はそう遠くないのかもしれないなと思いながらモチャモチャと仕事をすべく机に齧り付いている毎日です。暗いニュースが多いけど僕は元気だし、カップ麺を食べて「うんめぇ」と笑顔になれるぐらいには幸せです。そのあとにアイスを食べて「更にうんめぇ」と笑顔の上乗せだって出来ます。

でもきっと5年も経ったら全く違う形で世の中はあるのだろうなと思います。5年前の世の中ってカルロス・ゴーンが逮捕されて、森友文書改ざんなどで世間が騒がれていたときです。そして何よりもコロナが流行る前のときだったので、皆が当たり前に外出してマスクなどつけなくとも誰も嫌な顔をしない時代でした。それが今じゃ外出をするにもわずかな不安を抱えてマスクをしながら電車に乗り込み、つり革に触れることすら躊躇する時代になりました。
たった5年で世界がここまで変わってしまうのであれば、きっと5年後も世界は大きく変わっているんだろうなと思います。そしてそこに僕はちゃんと存在出来ているのか、怖くもあります。誰かに忘れられないだろうか、僕が生きてきて残してきたものは、小さくとも誰かの心の中にあり続けるだろうかと僕は駅前でノーマスク運動を訴える団体を見ながら物憂げに浸ってしまったものです。駅の中に入れば子供の前で母親がしゃがんで、子供のマスクを直してあげながら「ちゃんとマスクしようね。危ないからね」と優しい声で問いかけているのです。きっぷ売り場の男子学生はカーディガンの袖を伸ばして直接触れないように切符を購入しておりました。電車の中で咳をした老人の横で、怪訝な目を送るサラリーマンが深い溜息を吐いてスマホをいじっておりました。まったくもって景色ががらっと変わってしまったなぁと陰鬱な気持ちで、いつかまた元に戻るときが来るのかなと思いながら電車の中でうたた寝をしていたのも去年や一昨年の話。今じゃインフルエンザとか梅毒まで流行り始めて、どことなく憂鬱とした気持ちや空気感が当たり前になり始めて、徐々に均衡が崩れ始めているのを感じています。大きい何かに諦めろと言われているようです。しかしながら皮肉にも常識や「正しさ」について考える機会になったのも事実です。そういう疲れる時代は意見が割れるものです。マスクひとつに置いても「マスクを外してもいいのか?」といった議論がSNSでもテレビでも盛んに行われました。未だにその話し合いは結論が出ていません。生産的な議論は発見を生みます。が、非生産的な議論は徒労に終わります。ただ時間と精神をすり減らすだけになってしまいます。大切なのは何のために議論するのかということです。楽をするためとか承認欲求を満たすためではなく、俯瞰的目線で生産的な結果を生み出したり礼儀に配慮した結論を出すための議論をすべきです。勝とうと思う精神を持つことがひとつの敗北だと数えるべきだと僕は考えます。要は、やさしくあろうぜってことです。やさしさ、大事。まぁまぁ難しい話はいったん置いといて、みんなアイスでも食べようぜ。何も考えない時間が一番大事な時代だと思うよ、僕は。アイスうんめぇ。

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