「君たちはどう生きるか」レビュー
※この記事は「君たちはどう生きるか」の感想をまとめたもので、ネタバレを含みます。
まだ映画を見ていない方はまず劇場に向かわれることを強く薦めます。
「不思議の国のアリス」のような展開の中で盛り込まれた数多のメタファーと、圧倒的な映像美に震えっぱなしでした。タイトルから説教じみた内容のものかと僕の友人間でもフォロワーさんの間でも危惧しておりましたがそんなことは無く、超次元的なスピードで宮崎駿の脳内の世界を旅して一瞬で映画館に戻される。そんな体験が出来る映画でした。
個人的に、ここ数年間見た映画の中で一番素晴らしかったです。というのも僕が宮崎駿の大ファンであるという贔屓目もあって、失礼ながら年齢的にもこれが最後の作品になるのだろうなと思っていた節があったため、映画を見てこれが最後の尊敬するアニメ監督のメッセージだと思うと心に震えるものを覚えざるを得なかったのです。
自然を愛する宮崎駿の"仮想敵"
宮崎駿は自然を愛している事で有名なアニメ監督です。例えばNHKのドキュメンタリーでは千と千尋の神隠しの腐れ神を助けるシーン。湯屋の全員で力を合わせて紐を引っ張り、自転車をスポンッと抜け出す場面です。あそこは宮崎駿の実体験が元になっているそうです。風の谷のナウシカも、自然破壊する人間の愚かさと向かうべき先を示唆するストーリー展開になっております。崖の上のポニョでは自然の恐ろしさを手書きで描き、風立ちぬでは身の毛もよだつ関東大震災を描き抜きました。それでも火と水と言った描写が困難なものでも長い月日を書けて手書きで書き続けたのです。様々なインタビュー映像やエッセイの中で宮崎駿がぽつりと自然への想いを語るシーンが多くあり、それほどに彼は自然を愛し続けておりましたし、それを当然のものと思っていたのです。
彼はこの地球を本当に愛している一人の人間だったのです。そんな彼がこんかい仮想敵に置いた存在は「インコ」「ペリカン」といった"外来種の鳥"でした。外来種の生き物は日本に本来住んでいた動物たちの居場所を奪い、駆除される存在でした。今回ストーリーの中核を担う「アオサギ」も外来種です。つまり本来日本の自然にとって外来種とは敵で戦う対象だったのです。
作中の外来種は主人公に恐怖を与えたり、妨害を行います。アオサギも最初はそうで、主人公に対して挑戦的な口調で挑発をしたりします。主人公もアオサギを殺そうと木刀を思いっきり振り回したり、弓矢で射抜こうとするのです。日本に初めてアオサギが来たときもきっとそうだったのだと思います。アライグマがタヌキの居場所を奪ってしまったように、日本本来の美しい自然を取り戻すための戦いがあったのだと思います。しかしアオサギは特別な意味がある鳥でして、外来種であるにも関わらず「見たら縁起の良い鳥」と語り継がれるようになったのです。つまりは人々は、"外からの存在"を受け入れ始めたのです。作中でも主人公の眞人がアオサギを敵視しておりましたが、次第に受け入れ始めて友達になります。争いが耐えない「下の世界」で眞人は敵だった存在と友達になり、ともに生きることを決めるのです。
かつて宮崎駿はアニメーション監督を辞めようと思ったことが何度もあり、理由をプロデューサーの鈴木敏夫さんが以下のように述べておりました。
アニメーション監督で孤独と戦いつづけた宮崎駿が、均衡の崩れた現代社会に生きる一つのヒントとして出したものが「友達をつくること」だったのです。かつて争い奪い合っていた存在同士が、最後は同じ世界で友達として共に生きる。そうすることで生きていけるのです。
しかし、最後のアオサギが悲しい現実を教えてくれます。「いずれ忘れる」と眞人に告げます。大切なことに気づいても長い時間と時代の中で忘れてしまい争いをまた起こすのも人間です。それでもアオサギは去り際にこう告げます。
「じゃあな。トモダチ」
このシーンを見て、僕は千と千尋の神隠しにある銭婆婆のセリフを思い出さずにはいられませんでした。
いつだって宮崎駿作品は僕たちに大事な何かを思い出させてくれる作品でした。ナウシカにおける自然破壊、もののけ姫における自然との対峙。ラピュタの冒険心や、魔女の宅急便の優しさ。いつでもジブリ作品は僕たちの心の中にあった忘れていたものを思い出させてくれたのです。しかし、前述した通り宮崎駿は年齢的にも、これが本当に最後の作品になることだと思われます。その上で、この作品のタイトルが意味を成すのだと思います。
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