ボヘミアン・ラプソディーを見ました ※注意書き有

映画館で公開してたころに見に行った直後の感想文です。つまり数年前。

いつもの早口オタク大興奮感想ではないので注意


ボヘミアン・ラプソディーを見た。
友人知人が軒並み鑑賞して絶賛。
普段音楽にそれほど興味を示していないはずの弟や妹までもが
正月の帰省の際に「面白かった」と感想を述べていた。

あまりにも色んな人が見に行っているので、
このままではボヘミアン・ラプソディーを見ていない人間は世界で自分ただ一人になるんじゃないかと思ったくらいだ。

それはそれで面白いのでまぁいいかとも思っていたが、
たまたま友人が誘ってくれたため見に行く運びとなった。

友人は通算4回目の鑑賞らしいのに、
最後のライブのシーンでめちゃくちゃ泣いていた。

一方自分はその横でめちゃくちゃ焦っていた。
すぐそこに感動で涙を流している友人がいるというのに、
迫力あってかっこいいなーくらいの感想くらいしかなかったからだ。
自分でもびっくりするぐらい浅い。
浅漬けでももうちょっと漬かってる。

面白かったとは思う。
ただ泣くほど感動したわけではなく、
もう一回映画館で見ようと思えるくらいぞっこんになったわけでもない。
もちろん好みは人それぞれなので、好みでなかったものは仕方ない。

悲しかったのは、一般的に「良い」と評価されているものに自分は特にハマれなかったことだ。
夢中になることができなかった。
それは、自分の感受性やそういうものが鈍い、足りないからなのではないか、とか思ってしまう。

仲の良い友人と感情を共有できないことを申し訳なく思い、盛り上がれない自分を情けなく思う。

何事もどんな作品も、誰かと共有するためだけに存在するのではない。
ただ、できればいろんな作品を楽しめる感性が広ければ広いほど、人生は充実してそうだ。

ここまで考えて食べ物の好き嫌いみたいな話だなと思ったので、
結局こればっかりはどうしようもない。

好き嫌いは時間が立って変化するときもあれば、一生変わらないときもあるのだ。


最近は、なぜか好きになれないものに出会ったとき、
なぜそれを好きになれないのか分析するようにしている。
これはこれで嫌いなものについて考えるのであまり愉快ではないエネルギー消費の仕方な気もするが、
自分を納得させるには足る。

作品を否定するためではなく、
「この人はこういうところが好きだから面白いと思った」
「私はこういうところが苦手だからあまり楽しめなかったと思った」
ただそれだけの事実の認識だ。

ただそれだけでも、
一つの出来事に対して人が抱く感情はそれぞれ違うのだから、
一本の映画の感想なんて違って当然だよな、という気になってくる。

この人生ももう少し楽しめるのではないかという気になってくる。

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