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マジュヌーンに捧ぐ


わたしたちが愛したあの友この友は、年々の葡萄から
「時」と「さだめ」が絞り出したいちばんの美味。
見よ、その彼等が一回り二回りさかずきを回し飲みして
それから一人ずつ黙ってこっそり憩いの床に赴いた。

「ルバイヤート」オマル・ハイヤーム

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野上くんと初めて会ったのは、たしか東京外国語大学の学園祭(外語祭)でだったと思う。ヒンディー語科とウルドゥー語科の共催で「印パの奇跡」という意味ありげな名前の教室展示をしていて、そこへ演奏に呼ばれた時のことだ。第一印象はごく普通の大学生といったところだった。もちろん、この印象はすぐに裏切られることになる。やたら音楽への食いつきが良いなと思ったら、彼もミュージシャンなのだそうだ。「へぇー、何やってるの?」「歌です」「どんな?」「いろいろです」と言って歌ってくれたのは、あろうことかなんと、かの大御所ヌスラット・ファテ・アリ・カーンのアッラーフーだった。まさか日本でカウワーリーをやろうって若者がいるとは、と目を瞠った。

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外語祭には、それからしばらく通うことになった。11月の連休は、そのために毎年スケジュールを空けておくことになった。余談だが、外語祭では各語学科がそれぞれの国の料理を出す屋台がずらりと並ぶ。聞いたこともない名前の東欧の料理。謎の煮込みや炊き込み。スパイスの香り。肉の焼ける匂い。串に刺した羊肉を炭火で焼くケバブだけでも3〜4ヵ国くらいあって、それぞれに特色があって面白い。各語学科が威信をかけて競い合ってる訳だ。毎年さんざん食べ歩いたっけ。今はどうなってるんだろうか。


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いろいろ歌いますの言葉通り、野上くんはパキスタン歌謡からB'zまでほんとに何でも歌った。外語祭ではバンド5つくらい掛け持ちしていて、展示教室にいないなと思えば中庭のステージでマイクを握っていた。外語祭だけでなく、オープンカレッジの講座でも、大使館でのスピーチでも、別に誰から求められてる訳でもないのに、とにかく隙あらば何か歌っていた。ほんと歌うのが好きなんだな。音楽だけじゃなく言語にも秀でていた。歌うためには言葉も必要だ。めちゃめちゃ厳しいと評判の外大のカリキュラムを終了して大学院に進み、専門以外でもパンジャビ語やチベット語など、自分の歌いたい歌の言語を積極的に習得していった。ついには自分でワールドミュージックの専門誌を創刊してしまう。「Oar」と名付けられたその雑誌は、パキスタンにチベット、ネパールと、彼自身がその都度現地に飛んで足と耳で集めた情報と熱量に溢れていた。自分の好きなように作りたいからと、敢えてスポンサーを取ることはせず、バイトを3つやりくりして制作費に充てていた。

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国境知らずの音楽雑誌Oarは、人一倍の才能と努力と情熱で駆け抜けていった野上くんの、ひとつの集大成と言えるものだった。しかし野上くん責任編集のこの超意欲的な雑誌は、僅か3号で幕を閉じる。

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その電話を、僕は都内のレッスン会場で受けとった。


2011年7月24日午前0時40分、夜のバイトを終えた野上くんは、帰宅途上、若者たちの無謀運転する車にはねられて帰らぬ人となる。


信じられなかった。とても受け入れがたかった。ほんの2週間前に、ライブの後一緒にご飯を食べて、音楽の話で盛り上がったとこだった。以前から話題に上がってたパキスタンのスーフィーロックのカバーバンド、いよいよ始動することになりました、つきましては太郎さんもぜひと、報告と勧誘を受けたばかりだった。良いけど僕何すんの?バンスリ吹いてください。ロックバンドで?バンスリの入ってる曲とかもあるんですよ。そうか、そういうことならぜひと、話が決まったとこだった。

お願いですから彼はやめてください彼だけは、と神様に祈った。彼みたいな人は他に誰もいないんです。こいつほんとに特別な奴なんです。これから日本の民族音楽シーンを大きく変えてゆく筈の人間なんです。彼にはまだまだこの世で果たすべきことがたくさんあるんです。お願いですから彼を返してください。お願いですから……
願いが聞き届けられることはなく、Oar4号は追悼号となった。

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この7月で、彼が突然世を去ってから10年になる。この10年間で、世界も僕らも大きく変わった。いろいろなことがあった。ここに野上くんがいてくれたらなと思うこともあったし、この風景を野上くんに見せてあげたかったなと思うこともあった。ちゃるぱーさがロンドン大学に呼ばれて公演したとか、僕がバングラデシュでミーカールやヌーランと共に数万人規模のスタジアムコンサートのステージに立ったなんて、言ってもきっと信じてもらえないだろうな。でもホントなんだよ。野上くんだって、もし生きてたらそれくらいのとんでもないことがいろいろあった筈なんだ。そしてまだまだこれからも。なんたって、生きてたとしてもまだたったの34歳なんだから。

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10周忌にあたる7/24の土曜日、いつもお世話になってる西荻窪の音や金時で、ちゃるぱーさと一緒に野上くんゆかりの曲をやろうということになった。スーフィー色の濃いアフガニスタンの歌。パキスタンのカウワールの名曲。そして僕は、あの夜野上くんと約束したスーフィーロックバンドの代表的ナンバーを、野上くんの代わりに歌うことになった。僕もまさか人前でロックを歌う日が来るとは思わなかったよ。ほんと人生何が起こるかわからないな。あれもこれも全部君のせいだ。君がいなくなってから、君の隙あらば歌う精神を僕は勝手に引き継ぐことにした。あれ以来少しずつ、僕はそれまで自分のためにだけ歌っていた歌を人前で歌うようになった。そう、僕らはもっともっと歌うべきなんだ。誰から求められてようが求められてなかろうが関係ない。僕が歌いたいから歌うだけ。野上くんだってきっと、もっともっと歌いたいと思っていた筈だから。だからこの日は最初から全開でいきます。レッドゾーンまで回します。合宿でも見たことないような寺原太郎の新境地が見られます。


◆ 7/24(土)「マジュヌーンに捧ぐ」
西荻窪 音や金時
15:00  ¥2,700

《出演》
やぎちさと/歌と太鼓
佐藤圭一/ラバーブ
寺原太郎/バーンスリー、歌
野田良平/ベース

詳細:https://fb.me/e/1nOzYHPok


マジュヌーン(狂い男)と呼ばれた我が友、野上郁哉(享年24歳)に。

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イラムの園は薔薇もろともに消えてあとなく、
ジャムシッド王の七環杯は行くえを知らない。
でも、今も葡萄の蔓には紅の珠なす実り。
水のほとりの花園に昔をしのぶ薔薇の花。


愛しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、酌み交わす酒にはおれを偲んでくれ。おれのいた座にもし盃がめぐって来たら、地に傾けてその酒をおれに注いでくれ。

「ルバイヤート」オマル・ハイヤーム

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寺原太郎 2021.7.21

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