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シタールの神様 Pt.Nikhil Banerjeeのこと

※ このアーティクルは2021.10.14の音や金時インド音楽ライブ配信の投げ銭用プラットフォームとして書かれています。最後まで無料でお読みいただけますが、ご購読いただけると演奏者一同喜びます。また、記事下のサポートボタンからは100円単位で任意の金額が選べますので、もっと払いたいぞという方も、そんなに払いたくないという方も、どうぞご活用ください。

【ライブ情報】
■ 2021.10.14(木)西荻窪 音や金時
19:00開演 2500円
《出演》
寺原太郎(バーンスリー)
明坂武史(タブラ)
木村恵実香(タンプーラ)
イベント情報ページ(FB) https://www.facebook.com/events/297085698517410

動画配信チャンネル(アーカイブあり)
https://youtube.com/c/srgmpure


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Pt.Nikhil Banerjeeというシタール奏者がいた。1931年生まれ、なんなら今も存命でもおかしくない歳だが、残念ながら1986年1月27日、54歳という若さでこの世を去った。10月14日は彼の誕生日である。毎年この日は、何か演奏を入れるようにしている。ライブや収録や、何もなければ家で1人で練習することになるが、とにかく何か演奏する日。ニキルさんがいなければ僕はここにはいなかった。僕がこんなにもインド音楽の魅力に取り憑かれたのは、ニキルさんから続く道のおかげなのだから。

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50〜60年代のカウントベイシーのナンバーを中心に演奏するビッグバンドジャズのサークルでトランペットを吹く傍ら、大学内のジャワガムランのグループにも所属し、隣の大学の音楽科に雅楽の研究室があると聞けば潜りこんで教授と懇意になって龍笛を教わり、根城にしていたアートサークルでは笛を作って吹き鳴らしたりセネガルの太鼓を四六時中叩いたりしていた大学生時代の僕が、インド音楽と出会わない筈がなかった。必然だった。今となってはもうどれが一番最初のきっかけだったのかはわからない。しかし少なくとも、図書館で片っ端から読み漁った小泉文夫著作選集と、吹田の国立民族学博物館の資料ビデオテーク、民族音楽雑誌「包」、それから神戸モトコー4番街に当時あった怪しげな民族楽器屋、これらの存在を抜きには語れない。そしてその高架下の狭い怪しげな店で、僕はニキル・べナルジーと出会った。

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そこは狭い店が雑多に立ち並ぶ元町高架下商店街の中でもとりわけ狭い店で、わずか1坪ほどの店内に壁と言わず天井と言わず所狭しと名前もわからない世界の様々な楽器が吊り下げられ立てかけられ積み重ねられ、そしてそんな一画に店主が世界中を旅して集めてきた海賊版カセットテープのコーナーがあった。買い集めてきたカセットテープを勝手にダビングして売ってる訳で、限りなく黒に近いグレーというよりはもう完全に犯罪行為なんだけど、それでもインターネットの普及してなかった当時、それは僕にとって唯一と言ってもいい世界に開かれた音楽の窓だった。小泉文夫の本に出てきた音楽も、包で名前を見た音楽家たちの演奏も、みんなそこにあった。僕はそこでアリアクバル・カーンを知り、ハリプラサード・チョウラシアを知り、シヴクマール・シャルマを知り、ザキール・フセインを知り、ニキル・べナルジーを知った。バーンスリーという楽器と出会ったのもこの店でだった。


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北インド古典音楽の花形とも言える楽器、シタール。音も見た目も、まさにインドを代表する楽器と言えるだろう。しかしこの楽器をニキル・べナルジーほど美しくかっこよく自在に弾ける人を僕は知らない。それはこんこんと鮮烈な水の湧き出す泉。水面に反射する陽光の煌き。木漏れ日が川のせせらぎに落とす影。刻一刻と変化し一瞬たりとも他の一瞬とまったく同じになることのない、そして一瞬たりとも美しくない瞬間や意味のない瞬間のない、いつまで見続けていても飽きることのない超絶と調和だった。フレーズがフレーズを産み、それがまた次のフレーズへと繋がっていく即興音楽の、人類が到達し得た最高峰、それがPt.Nikhil Banerjeeのシタールだ。人間に許された領分を軽く超越していると思う。

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Nikhil Banerjeeの所属する流派をマイハル・ガラナ(Maihar Gharana)と言う。Baba Allauddin Khan(1862 – 1972)によって始まったマイハル・ガラナは、その歴史の浅さにも関わらず綺羅星の如き名演奏家を輩出し、時代が大きく変革していくインドにおいて瞬く間に大人気を博し、国外にも進出していく。スルバハールの名手であった長女Annapuruna Deviに婿入りしたPt.Ravi Shankarは世界的なシタール奏者になった。サロードの帝王と呼ばれた長男Ud.Ali Akbar Khanは、サンフランシスコ郊外にインド音楽の音楽学校(AACM, Ali Akbar College of Music)を創設し、半世紀にわたってアメリカでのインド音楽普及のセンターであり続けている。そしてPt.Nikhil Banerjee、サロード奏者Ud.Bahadur KhanやSharan Rani。北インド古典音楽界におけるバーンスリーの草分けであるPt.Pannalal Ghoshもその1人。演奏楽器の種類が多岐にわたるのも大きな特徴だ(通常シタールやサロード等の弦楽器の流派は、その楽器だけであることが多い)。これは創始者であるBaba自身が様々な楽器を演奏したからでもある。一説によれば100種類の楽器を演奏したとも言われるが、メインの演奏楽器はサロードとバイオリン。左利きであった彼は、いずれも左利き用の楽器を使っていた。

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そうしてインド古典音楽が海外に広まっていく中で、Pt.Nikhil Banerjeeの高い音楽性と超絶な演奏技術は西欧世界にも大きな衝撃を与えた。生前にリリースされたレコードの中には、アメリカやドイツ等海外で発売されたものも多い。

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インド国内でも熱烈なファンの多かったニキルさんは、弟子を取らないことでも有名だった。そんなニキルさんの下で、亡くなるまでの7年間を住み込みで共に暮らし、薫陶を受けたのが僕の先生であるH.Amit Royだ。先生を通じて僕は、インド音楽の様々な秘密、ラーガの世界の多彩さと奥深さに触れた。音楽の厳しさ、崇高さと同時に、音楽界のドロドロとした裏話にも。そしてニキルさんとの日常の何気ない会話や思い出の数々。それらの多くは、今はここには書かない。けれどそれらの言葉のひとつひとつが、僕が音楽と向き合う上での大切な宝物になっている。

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今年の10月14日はニキルさんの生誕90周年。ほんと、まだ生きてても全然不思議じゃない歳なんだよなあと、そうであった世界線に想いを馳せると同時に、そのニキルさんの亡くなった歳に今や自分が刻一刻と近づいているということに決して軽くはない驚きを禁じえない。こんな歳で亡くなってたのか。こんな歳で、あんな一分の隙もないような完璧で超絶な演奏を幾つも残していたのか。
病の床で、ニキルさんは僕の先生に言ったという。
「君が羨ましいよ。私が君の歳だったら、すべてを捨ててまた一からやり直せるのに」
あれほど完璧で超絶な演奏をものしておきながら、なおまだ自分の演奏に満足していない巨匠の姿だった。生きていて欲しかったなあ。一度くらい生で聴いてみたかったよ、ニキルさん。

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ニキルさんの名演は多々あれど、一番凄いのは文句なしにこれだろう。人間の限界を完全に突き抜けてる演奏。時間のない人は1時間07分からのdrutの火の出るような15分間だけでも聴いてみてください。僕の言っているのが決して大袈裟じゃないことがおわかりいただけるかと思います。
Pt. Nikhil Banerjee: Raga Puriya Dhanashri https://youtu.be/_q4t3__GVwg

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