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魔法神社

魔法神社について書こうと思った。ラノベにでも出てきそうな冗談みたいな名前の、でも確かに実在する、日本にたったひとつしかない神社について。偶然の縁で出会った、インド音楽とも関係なくもなさそうな必然を感じるこの不思議な神社と、そこに祀られている不思議な存在について。多分これは僕が書かなきゃいけないやつだ。僕が書いておかなければきっと誰の記憶にも残らずに消えてしまうだろう、そんな話。

ことの発端はオオサンショウウオだった。いや混浴露天風呂か。どっちでもいい。その温泉の流域が日本有数のオオサンショウウオの生息地なのだ。湯原温泉は倉敷から車で2時間ほど上がった鳥取県との県境近くの山の中にあって、秘境と言って差し支えないような佇まいの鄙びた温泉だが泉質と湧出量が半端なく良い。つまり最高だ。川の上流にダムがあり、そのダムの真下の河原にお湯は湧いている。最高だ。河原に直接湯船が切ってあり、上、中、下と流れるにつれ湯温が下がっていく。湯屋などはない。屋外だ。一応男女別にわかれた狭い脱衣所こそあるものの、一歩外に出ればそこは河原。オープンエアー。誰憚ることなく全裸で大自然の恵みを堪能することができる(できた、と言うべきか。僕が最初に訪れた時はそうだった。最近は「隠そう、下半身」というにべもない看板が立っている。何か問題があったのかもしれない。悲しい)。源泉から湧出するお湯が温度調節もなくそのまま引かれているようで、冬はぬるくて夏は熱い。すぐ隣を流れる川はダム湖からの放流水なので、真夏でもギンギンに冷たい。熱いお湯にのぼせてきたら、湯船を出てくるぶしくらいの水深の川に身を横たえる。冷たすぎて10秒と入ってられない。我慢の限界まで浸かって水から飛び出すと、熱いお湯に飛び込んで急速冷凍された身体を解凍する。最高だ。上には温泉街。渓谷にこだまする鳥の声。最高以外の言葉がない。時間を忘れ、自分を忘れ、何もかも忘れてただただお湯の流れに身を浸す。最高だ。

忘れてた。温泉の話を書きたかった訳ではない。オオサンショウウオの話だ。違った、魔法神社の話だ。つい熱くなって我を忘れてしまうとこだった。温泉だけに。とはいえ湯原温泉の話を書いてハンザキについて触れない訳にはいかない。ハンザキとはオオサンショウウオの別名で、半分に裂いても生きているという生命力の強さから「半裂き」と呼ばれるようになったらしい。この地にはかつて、10メートルを越える大ハンザキがいたという伝説がある。村人を渕に引き摺り込んでは食ってしまうので、ある時勇敢な若者が小刀を咥え渕に飛び込んだ。激闘の末大ハンザキは無事退治されたのだが、その日を境に若者の家では次から次へと異変が続き、とうとう家は絶えてしまった。これは大ハンザキ様の祟りに違いないと、村人はこの地に、これまた日本唯一であるオオサンショウウオを祀る神社を建立した。日本唯一の神社ということは世界でも唯一であり、この銀河系にたったひとつしかないと言ってもいい。銀河系にただ一つのオオサンショウウオを祀る神社、ハンザキ神社。漢字で書けば鯢神社。鯢は一字でサンショウウオと読むらしい。又の名を鯢大明神。この鯢神社の夏祭りがまた凄くて、伝説の大ハンザキもかくやと思わせる10メートル級のフルスケールモデル「太郎」と「花子」2体のオオサンショウウオの乗った山車を引き回し、その周りで人々が一心不乱に踊りまくるという奇祭であるらしい。蝕の時間の再来か。近くにははんざきセンターというオオサンショウウオの研究施設があり、自由に見学できる。1メートル級のオオサンショウウオが何頭も飼育されている様は見応えがある。オオサンショウウオの成長速度は1年に1センチメートルだそうなので、これで100年以上生きてるということだ、ならば件の大ハンザキに至っては千年近く生きてたってことか。そりゃ祟りもするだろう。


巨大サンショウウオに見守られる町
銀河系で唯一のオオサンショウウオ神社
でかい
蝕の時間

そんな訳で、非常に充実した湯原温泉ハンザキ巡りを終え、満足感のうちに高速道路を一路倉敷に向けて走っていると、ナビゲーションのディスプレイに一瞬「魔法神社」という文字が浮かんだ。高速道路からはだいぶ離れた山の中だ。魔法神社?なんだそれ。アミューズメント施設か何かかな。それとも陰陽師系コスプレ喫茶?しかしこんな山の中に?ディスプレイに浮かんだ文字は車の移動につれて一瞬で消えてしまったが、妙に気になるものがあって、宿に戻ってさっそく調べてみた。魔法神社に関する情報はすぐに見つかった。黒一色の謎のログイン画面が現れたり、PCから怪しげな煙がモクモクと立ちのぼったかと思えば突然頭の中で謎の声が響いたり、攻性防壁のアタックを受けてディスプレイが火花を吹いて爆発したりはしなかった。普通にウィキペディアに載っていた。

ウィキペディアには「魔法様」の名前で掲載されている。
「魔法様」 https://w.wiki/4L5a

岡山県の山の中に存在する魔法神社は、魔法様の愛称で親しまれたキュウモウ狸を祀った神社だ。室町末期、キリスト教の宣教者にまぎれて日本にやってきたキュウモウ狸は、やがて町を離れ、備前賀茂山中の廃坑跡で暮らすようになった。薬草等の知識に富み、牛馬の治療にも長けていたキュウモウ狸を、村人は魔法様と呼んで敬い、たびたび牛馬を連れて山中の棲み家を訪れた。月の夜には農具をカンカンと鳴らしながら「サンヤン、サンヤン」と歌い踊るキュウモウ狸の姿が目撃されている。

ここまで読んで、突如胸が熱くなり目に涙がこみあげてきた。なん…だと!?
なんとなれば、月夜の晩にサンヤン、サンヤンと歌う人を僕は知っているからだ。よく知っている。それは僕の先生だ。いつも月を見上げながらサンヤン、サンヤンと歌っていた。何度も聴いたその歌声が耳に蘇る。僕の先生はカルカッタ生まれのベンガル人だ。ベンガル語でサンヤンは愛しい人の意。その瞬間、それまで漠然と読み流していたウィキペディアの記述が、突如血の通った物語としてくっきりと像を結んで立ち現れてきた。なんということだ。

キュウモウ狸はベンガル人だ。東インドを植民地化していた西欧人宣教師が従者として連れてきたのだろう。あたりまえだ。タヌキの訳がないじゃないか。タヌキが海外から船に乗ってやってきたりするもんか。だいたいタヌキは日本の固有種だ。西洋人が連れてきたのは、タヌキではない何かだ。毛深くて、色黒で、目のギョロっとした言葉の覚束ないその従者のことを、まだあまり外国人に馴染みのなかった当時の人々がタヌキと呼んだのだ。

どういった経緯で主人と離れて暮らすことになったのかはわからないけれど、言葉も見た目も風習も違う異国の地で独りで暮らしていくのは決して簡単なことではなかっただろう。ベンガル人 in 室町。人々から好奇の目で見られたり、蔑まされたりもしたことだろう。そんな彼が、次第に町を離れ人里を離れ、安住の地を求めて山中深くに身を潜め、独り静かに暮らすようになっていったのも当然と言えよう。京の都からは遠く遠く離れた備前賀茂の山奥深く、銅山の廃坑。キュウモウ狸がひっそり暮らすには好都合だった。持ち前のアーユルヴェーダの知識を生かし、病気の家畜の世話をして村人たちと細々と交流を続けながら、夜の月を見上げては、もう二度と踏むことのない故郷の地にいる愛しい人の面影を重ね、サンヤン、サンヤンと呼びかける。愛しい人よ、目を閉じれば今でも君の面影がまぶたに浮かぶ。足首につけた鈴の音が耳に蘇る。愛しい人よ。胸が詰まる。もう駄目だ。我慢できない。涙があふれてくる。なんて、なんて数奇な運命だろう。わたしはもう二度と、あの村に帰ることはないだろう。もう二度と、君に会える日はこないだろう。そう思いながら歌うのだ。月に哭く。遠い異国の山中で。誰にその心を知られることもなく。

そんな物語が見えてきたのだ、「サンヤンと言いながら踊っていた」という一節を読んだその瞬間に。なんということだ。もう、そうとしか思えなかった。キュウモウ狸は、ベンガル人だ。もしかしたらインドネシアや東南アジアのどこか、それとも他の地域のインド人かもしれないけれど(愛しい人をサンヤ、サヤン等と呼ぶ言語はたくさんある)、でも月を見上げてサンヤンと歌う姿はどうにもベンガル人っぽいのだ。魔法様について、ここまで詳しいディティールが伝わっていながら、今まで誰もそのことを指摘しなかったのだとしたら、それをするのは僕の役目だと言うことなのではないか。お前が伝えてくれ。異国の山中に果てたわたしの心を。そうキュウモウ狸の声が聴こえた気がした。

ところでキュウモウという名前はどこから来たのだろう。
「なんじゃお前ぇ、毛むくじゃらじゃなぁ、人間か?それとも狸が化けよるんか?言葉は喋れるようじゃな。名前はあるんか?」
「ナマエ?ク、クマール……」
「ん、キュマ…なんじゃ、キュウモウ?キュウモウ狸か」

ここまでいくとさすがに妄想の謗りは免れないかな。

魔法神社とキュウモウ狸のことは、東京へ戻ってからもずっと気になっていた。しばらくして何度目かの倉敷再訪の際、時間が空いてついに魔法神社を訪れるチャンスが巡ってきた。10月3日、折しも魔法神社の縁日の前日、満を辞してキュウモウ狸に会いに行く。魔法神社は山奥の、上りと下りで日に1本ずつしかバスの来ない集落の先にあった。そのバスも2023年現在すでになくなって久しいようで、バス会社のホームページには何の情報もない。往時は牛や馬を連れて集まる人で足の踏み場もないほどだったと言うがそもそも足の踏み場のないような峠の一角だ。車を停めておけそうな場所もない。その峠道の曲がり角に、魔法神社と名前の彫られた石碑と拝殿にに登る石段があった。ここだ。鳥居もなければ狛犬もいない。石段を十数段登った先には、簡素なしめ縄と、小屋が1軒建っているだけ。それが魔法神社だった。

誰もいない。社務所もなければ御神籤も縁起物もない。一切の人の気配のない中、静寂を破るのは鳥と虫の声ばかり。魔法神社と書かれた下に「為牛馬繁栄之」とあるが、もちろん牛や馬がいる形跡もない。牛馬を連れた人々がここに集って縁日が賑わっていたのはもう何百年も前の話なのだ。今は僕のような酔狂な訪問客以外訪れる者もない。さて。
肩から楽器を下ろす。拝殿の柱に大蟷螂が1匹とまっていたので、一礼してその蟷螂に向かって笛を構える。挨拶と自己紹介代わりに午後のラーガを少々、それから、いつも先生が歌っていたサンヤンの歌を。

「ねえ、愛しい人の足首につけた鈴の音が聴こえてくるよ。愛しい人の足首の鈴の音が愛を囁くよ。Sanyan ki Ghungroo Bhaje〜」

ねえ、キュウモウ。故郷には帰れた?愛しい人には会えた?蟷螂は身動ぎもせずに午後の光を浴びている。笛を下ろせば、あとは再び鳥と虫の声ばかり。



魔法神社
バスは1日2本

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