心臓日記第1部 その4──ICUパート3:インペラ、食事、リハビリ

 心臓にはステントだけではなくてインペラというものが入っている。これは比較的最近できた治療器具で、簡単に言えば小型心臓ポンプ。これで急性心筋梗塞、心原性ショックの生存率がかなり上がったそうだ(ネット調べ)。数年前だったら助かってなかったのかもしれない。
 そのインペラを抜く日が来た。ちょっと簡易的な手術になります、とは聞いていたけど、ICUを手術室に改造してほんとに「簡易手術室」になった。すごいなこんなになるんだ、と感心していると、さっそく手術が始まった。
 最初は局部麻酔のみで処置に入る。しかし痛い。めちゃくちゃ痛い。麻酔とかそういう問題ではない、何か別のあり得ない痛みがする。ひいいいと声が出る。出さないといられない痛み。
 するとさっとプラスチックのマスクをされる。
 目が覚めたら終わっていた。というか寝てた。生まれて初めての全身麻酔だった。なにこれ超楽なんですけど。他の手術の時もこれしてほしい。でも意思疎通ができなくなるから駄目なんだろうか。
 (訂正:あとから聞いたのだが、あれは全身麻酔ではなく「眠る薬」だったそうだ。全身麻酔はそんな簡単なものではないらしい)
 その後数時間は安静だったはずだが、これで足も曲げられるようになり体が自由になる。うれしい。
 ご飯は重湯と、柔らかく似た野菜を更に細かく刻んでもらったもの、が続く。これくらいしか食べられない。しかもスプーンで一口食べては体力がすべてなくなり「はぁ……」と倒れ込む。それを何度も繰り返す。お腹は空くのだが、ものを食べる体力がない感じ。ICUではずっとそんなだった。ペンギンにお水を大量に買ってきてもらって、水ばかり飲む。
 何日目か、初めてリハビリの先生が来る。「じゃあまずベッドに座ってみましょうか。ゆっくりね。はい無理ですね」判断早いな。自分ではできているつもりだったが、後から聞くとまともに座れず上半身がふらふら揺れていたらしい。自覚はまったくなかった。

 ちょうど1週間目、ICU最後の日になって、遂に体温が37度を切った。しかし一瞬だけだった。心拍数はずっと140前後だったものが100台まで下がった。血圧も少し上がって来た。
 このころになると、少しだけ「眠る(と意識できる)」ことができる。最初の頃の5分ごとに時計を見て、9時間の時間経過をリアルタイムで経験していたのと比べると、あまりにも普通に時間が進んでいる。この「時間の対照性」は凄まじい。「眠り方」がわからなくなるとは思わなかった。
 この時期には多少余裕ができてきたのか、急性心筋梗塞や心原性ショックをスマホで調べていた。なにこれ恐ろしい。全部完全に当てはまっている。これが今の自分かと思うと驚くし怖い。そしてこれは実際にならない限り、いくら読んでもピンと来ないかもしれない。
 その次の日にICUを出て通常病室に移った。いちばん最初は2週間程度で退院できると言われていたのであと1週間のはずだったが、そうはならなかった。

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