正しい頑張りを模索し続けよう

実際のところ、頑張ったら報われるのか

こんにちは、ナザレです。

「頑張る」という概念は、手放しに賞賛されています。
頑張ることはとても素晴らしいことで、頑張らない人はダメな人だと思われたりします。

頑張るということは、努力と言い換えられたりもしています。
頑張ることも、努力することも、日本に暮らす我々にとっては重要な考え方であり、美徳です。

しかし、この「頑張る」なのですが、どうもフワッとした言い方ですよね。
この言葉には、目的というか、ゴールが見当たらないからかもしれません。
何をどうするのか、この「頑張る」の中には見えてこないのです。

頑張ることは大事です。
頑張らないときがあってもいいですが、ずっと頑張らないというのはあまり良くない。
やはり、頑張る、つまり努力することが推奨されてしまう世の中と言えます。

では、とりあえず頑張ればいいのでしょうか。
頑張ったら報われるというのは、正しいことなのでしょうか。

「努力は自分を裏切らない」と言われます。
努力すれば、必ず自分に返ってくる。自分のためになるという意味です。
頑張れば報われるという言葉と同義でしょう。
しかし、これは実際問題どうでしょうか。

頑張った全員が必ず報われるわけではありません。
というか、報われない人のほうが多いと思います。
自分自身の経験と照らし合わせても、報われるより報われないことのほうが多いと感じるはずです。

でも、頑張ったら報われやすい事柄はあります。

例えば、筋トレ。
「筋肉は自分を裏切らない」らしいです。
でも、これは確かなような気もします。
筋肉は、やればやるほどついてきます。
もちろん、頑張らないといけません。続けないといけません。
頑張って続けてさえいれば、いつか必ず筋肉はつくはずです。

勉強もそうかもしれません。
頑張れば、ある程度の学力はつきます。
まぁ、ハーバードとかオックスフォードとかに行けるかはわかりませんけど。
それでも、社会人として困らないくらいの学力は身に付くでしょう。

これらのものは、比較的成果が出やすかったり、確認しやすかったりします。
本人の頑張りを評価する基準が明確だから報われたと感じやすいのだと思います。

というのも、筋トレの成果は肉体に現れます。
ここに筋肉の意思みたいなのが介在する余地はありません。
こうすれば、こうなるといった類のものでしょう。

勉強も、ある程度は学力を測る指標が存在します。
特に日本の場合は、良いか悪いかはともかく、偏差値というものがあります。
何点取れば偏差値いくらと出てくるわけです。
ここにも誰かの意思が介在する余地はありません。
明確といえば明確でしょう。
偏差値が良いかどうかはともかくとして。

ただ、これが仕事となるとどうでしょうか。
評価基準が明確で、恨みっこなし!という会社は少ないのではないでしょうか。
単に営業成績などの成果だけで評価するなら明確かもしれません。
売り上げ100万だったらA、80万だったらBとか。
でも実際のところは、そんな単純に評価することはできないと思います。
地域などの一つのエリアについて、会社数や市場規模などの違いで、同じ頑張りをしたとしても同じ成果が出るとは限りません。
「あの気難しい会社の担当者から受注を取ったのか!えらい!」みたいなこともあるでしょう。
「あいつは、成果は出てないけど頑張ってるからA評価」とか、そういうこともあるかもしれません。
どうやったって正しい正確な評価をするのは困難だと感じます。

なので、こういった状況において、「頑張ったから報われる」と思ったとしても、かなり無理があるのです。

「頑張ったら報われること」を無条件に信じてしまうと、報われなかった時にツラくなります。
だからと言って、頑張っても報われない社会が悪なのかというと、そういうわけでもありません。
全員が報われるのだとしたら、それこそ頑張ることをしなくなります。
頑張らなかったら、世界はこんなに発展しなかったはずです。

大事なことは、「報われる頑張り」というものはどういうものなのかを考えながら「頑張る」ことだと思います。
「ただ頑張ればいい」というわけではなく、「方向性を間違えた頑張り」というものをせず、「正しく頑張る」方法を模索してことが必要です。

頑張ったら報われると希望を持つことを否定はしません。
ただ、そこに盲目にならず、地に足のついた、評価につながる行動をとっていきたいものです。

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