その正解はあくまでも正解っぽいものです

正解があると思うと、苦しくなりませんか?

どうも、ナザレです。いつもお読みいただき、ありがとうございます!

正解のない問題に取り組むって、けっこう大変ですよね。

例えば、日本の少子高齢化問題を解決するためにどうすればいいか。
正解はこれだ!!
と、はっきり言えるものってありませんよね。

もちろん、いくつかの方法は思いついたりします。
こうやったらいいなじゃないか。
いや、こっちの方法の方が良さそうだ等。
でも、それが正解かって聞かれると、「さあ?」って感じになります。

正解のない問題というものは、とても厄介なものです。

では、正解がある問題は、果たして楽勝なのでしょうか。
数学の問題には正解があります。
国語にも、一応正解がありますね。
歴史にもあります。

だから、正解があると楽だなーって思う人は多いかもしれません。
でも、私はそう思わないんですよね。

なぜなら、正解があると、その正解以外のものは間違いになってしまうからです。

どんな仕事にもマニュアルというものがあります。
皆さんも日々、マニュアルを参照して仕事をしていると思います。
ファストフード店等の飲食店は、マニュアルに力を入れていますね。

このマニュアルも、ある意味「正解」と言えます。

マニュアルの良いところは、全員がマニュアル通りに動けば、その全員が均一なサービスを提供することができるところです。

マニュアル通りにできれば、正解。
できなれけば、間違い。
これがマニュアルで動く世界の掟なのです。

お客様に喜ばれることは大事なことなのですが、マニュアルから逸脱する行為で喜んでもらった場合、それはアウトなのです。

マニュアル以上のサービスをしてはいけないし、マニュアルを下回るサービスもしてはいけない。
そういう意味で言えば、とても窮屈な世界なんですよね。

今回はマニュアルを例に出しましたが、マニュアルがなくて良い!悪だ!と主張したいわけではありません。
マニュアルはあった方がいい。
仕事のやり方が文書になっていた方が、広く共有できますから。

私が言いたかったのは、「正解」があると、その「正解」が絶対視されてしまい、そこから逸脱したものは全て「間違い」となってしまうのは良くないということです。

そして、その「正解」に固執してしまい、「正解」以外の全ての価値観が「間違い」といった風になると、とても窮屈な生き方になってしまうでしょう。

もちろん、一応「正解っぽい」ものがあってもいいとは思います。
でも、それが絶対じゃない。全てじゃないんです。
別に違ってもいいし、真逆だっていいのです。

あなたの人生のそこかしこにある「正解」は、あくまでも「正解っぽい」ものであって、「正解」ではありません。

「正解」は自分で作り出すものです。
あなたらしい「正解」を見つけられれば、それで十分だと思います。

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