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どこもかしこも、AIだらけ

こんにちは、ゆってぃです。

自称さぼり魔な私も、4度目のぎっくり腰に懲りたので、ちまちまストレッチをしています。それでも、長時間座って立ち上がると、まっすぐに立つのに時間がかかるので、まだまだ腰は養生が必要そうです。

noteのメニューを開いたら、AIアシスタントなるものが出てきて、びっくりしていました。まぁ、きっとわたし風な文章をAIにかかせたら、そのような文章を出来上がるのも時間の問題なのでしょうけれども。

それって、読者の皆様が読んでいて、おもしろいのか、シニカルに感じてくれるのか、少々謎が残るのですよね。あくまで、AIは道具として使いこなさないと、自分で考え力が衰えていくのと、いや、別なことを考えられるから、哲学者的なくらしができるのか?うーん、私は哲学者的な暮らしがしたいのか?と問い詰めないといけないですね。

ただ、暴走したAIが人間に哲学者的な暮らしをさせてくれるとも思えませんけれども。75歳まではAIがどのようになっていくのか、暴走するのか?利用しつつ、哲学者的な暮らしも考えてみても良いかもしれません。

ちなみに今は、75歳で現役引退、75歳になったら、全財産、寺に寄進して、尼さんになって死ぬっていうのが私の目標です。ま、人生になるがあるかわかりませんから、現時点での。って但し書きがつきます。

世の中、AIを活用しない人々は負け組になるぞと踊らされている気もしますけれども、AIに使役されてるんじゃないの?って私も思う所もありまして。さてさて、どうなるのやら、と戦々恐々としているこの頃です。

ひとまず、noteのAIアシスタントを使ってみますかね。調べものするとか、アドバイスをもらうとか、自分の自己判断に対し、裏付けを取るといった、感じで、AIを活用してみようかなと思います。

本当は、裁判の量刑判定とか、病気の判定とか、移民判定とかが、AIでできるといいんですけれどもねぇ、それはそれで大反対する既得権益者もいるわけでして。

さて、あなたは、裁判の量刑判定がAIによるものがよいのか、人に裁かれるのがよいのか(ノイズとバイアスが乗ることに注意!)が良いのか、そこは、お互いによくよく考えた方が良い事例だったりもするので、これを機に考えてみてくださいね。

それでは、また。


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