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自由に考える

外食をした際、安くてあまり美味しくないお店を見つけると嬉しくなってブックマークしてしまう奇癖を持っているのですが、あまり理解を得たことがありません。理由は明確で、美味しものばかりを食べていると、舌が慣れてしまい、時々あまり美味しくないものを食べる事で次に美味しいものを食べるといつもより美味しく感じたりするのです。単純な脳ですね。高くて美味しくないものは高い理由がわからないので好きではありません。安くなくてはいけません。お店を選ぶのは自由です。財布と相談しながら価格と品質を選びます。お金が無い時は選ばなくても良いですね。道端のどんぐりでも良い訳です(誰かの所有物でなければ)。

SNSでは皆が模型を作ってはアップロードして公開しています。規約に反しないものであれば何を公開しても良いのです。自由ですね。そのような所なのに「〜は自由だ」と云うタグをつけているものをよく見かけます。声高く自由を謳歌しているなと思います。規約、とはこの範囲内で遊びましょうと云うルールです。自由と無秩序が違うのはルールがあるかないかです。ルール内で自分の意思で行動が選択出来る状況が自由な状態なのですね。タグで〜は自由だと主張されている方々は、そのルールを楽しんでいるぞと叫びたいのでしょう。余程不自由を強いられていたのでしょう。自由を満喫できることは素晴らしい事です。

自由な発想で考えていい、と云われる事がありますが無秩序の中から何かが産まれる事はほとんどありません。今手持ちの駒の中から色んな組み合わせを考えて、その中から最適かなと思われるものを選びましょうと云う意味合いになると思います。どの組み合わせも宜しくない場合は手持ちのコマを増やすしかありません。その場合、出来る限りフィールドの違うものを仕入れてくる方が、発想の自由度は上がってくるでしょう。同じフィールドでは同じものしか産まれにくくなってしまいます。血は出来る限り違うものを混ぜていく方が生存確率が上がっていく様に、自由度をあげるには色んなものを仕入れて色々組みあわせて見るのが1番強度が上がる可能性が高くなりますね。もしかしたら、あまり美味しくないコマも、発想次第では美味しいものになるかもしれませんから。

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