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プラモデルが上手くなる

小さい頃はおばあちゃん子だったので、おばあちゃんとよく遊んでもらった記憶があります。遊ぶといってもおばあちゃんちは自営だったため、基本的には一人で遊んで分からない時はおばあちゃんに聞くようなスタイルだったように思います。プラモデルもおばあちゃんちでよく組みました。なので、おばあちゃんにはよく手伝ってもらいました。ズゴックが好きな子だったので、何個もズゴックを作らせたと思います。どこのおばあちゃんよりもうちのおばあちゃんがズゴックの爪を接着したんじゃないかなぁ。

そんなおばあちゃんとプラモデルを組んでいると、必ず云われたのが「あなたはプラモデルが下手ねぇ」でした。1人だと説明書の解釈が上手くできないので、いつも必ずパーツが余るからでした。今のプラモデルのようにコンバーチブルなものはすくなかったので、余るパーツは少く、つけるはずのパーツが必ずと云って良いほど余ったものでした。それを総じておばあちゃんはプラモデルが下手と評価したのでしょう。パーツを余すこと無くきちんと作れることが、私にとっての上手いプラモデルと植え付けられている根幹だと思います。

SNSでプラモデルを発表してたりすると上手い下手なんて話はよく出てきます。模型誌にしても、上手くなるコツみたいな記事が沢山あります。でも、プラモデルが上手くなるってなんなのかなぁと考えた事はあまり無いように思います。勿論人それぞれで良いと思いますし、自分の中の基準、コミュニティの中の基準などそれぞれですが、ただ私の中の上手いプラモデルとはやはり「パーツを残すことなく作ること」なのかなぁと思ってしまいます。模型と料理はよく似てるように思いまして、レシピの通り、素材を余すところなくきちんと出来た料理が、やはり上手い料理なんでしょう。その感覚です。

ぼんやりいつも上手くなりたいなぁと思っていますが、私の中のおばあちゃんが「ちゃんと上手く作りなさい」と囁く間は、そんな事を肝に銘じながら作っていたいなと、おばあちゃん直伝の肉じゃがを作りながら思いました。


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