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自由と自分

早いものでNZにきてから1年と少し経った。

昨年看護師の仕事を辞めてから留学をするまでは、ずっと憧れていた長期旅行をしたり、久々に実家でひと夏を過ごしたり。まさに自由を謳歌させてもらった。1年違えばどこにも行けなかったかと思うと本当に絶妙なタイミングだったと思う。

こうして何にも縛られずに1年過ごしてみて、自由について改めて考えてみた。まず自由の定義についてだが【他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。】らしい。

これまで自分は仕事に拘束されているから自由ではないって思っていたけど、本当にこの時の私は自由ではなかったのだろうか。働いている以上時間的な拘束は仕方のないことだけど、私は割と自らの意志や本性に従っていたと思う。やってみたいことがあればすぐに挑戦できていたし、おいしいものやお酒を求めて友達と新しいお店を開拓したり、、たくさんの経験を得ることができていた。

大人って何らかの責任をもって行動しなくてはならなくて、それが常に自分の背中の上にあるもんだから(責任に強制・拘束・支配されているような気がして)全く自由がないように感じてしまうことが多いように感じる。”責任を持つこと=自由を失う”わけではないのに。

仕事があるから、結婚しているから、子供がいるから、持病があるから、など自由じゃないと感じる理由はすぐにみつかるし、やはりそれぞれのステージでそれぞれの責任を果たすために、ある程度の制限は生まれてしまうのも事実。その制限を強制・拘束・支配と捉え、日々をただやり過ごすのか、その制限の中で自分の意思をもって行動できるかが鍵になるように思う。

要するに気の持ちようってことなんだろう。

来年になれば私はまた日本に戻り、看護師として働くだろう。思うように休みを取ったりはできないかもしれない。しかし、前みたいに自分で自分の自由を取り上げてしまうのではなく、その環境の中での自由を楽める人になりたい。

先日、これまでに家族や友達からもらった手紙を読み返していた。その中で【日々を漫然と過ごすのではなく、与えられた環境を活かしてください】という父からのメッセージを見つけ、手が止まった。

ほんと痛いところを突いてくる。漫然という言葉のチョイス。

そう、目標をみつけて環境を変えるまでの行動力はある私だが、コツコツと取り組むことが苦手で、すぐに環境に甘んじて漫然に(だらだらと怠惰に無為に)過ごす傾向にある。

残りの留学生活、こんな自分を打破できるかどうか。父よ、後悔しないよう私なりに頑張ってみます。

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