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身になるのは良くも悪くも感情が動いた時

閲覧頂きありがとうございます。

些細な事ですが気付きを得たのでOPします。

先日、とある業務について先輩Aに相談しに行った時の事です。Aと直接関係ある仕事ではなかったので、その後の進展報告などはしなくても支障なかったのですが、後日私はAの意見を踏まえて何をどうしたか、説明に行きました。Aは、わざわざどうも みたいな反応でしたが、これは私にとってとても自然な行為でした。こういうケースは社会人になりたての頃から度々ありました。

逆の立場で後輩から相談を受けた時、その後どういう形で事が進んだのか話しに来る人はあまりいません。なので大体自分からその後どうなったのか聞きに行ったりします。(私のように経験の浅い者は自分のアドバイスに対するフィードバックもありがたいのです)

さて、私は人に意見、アドバイスを求めた場合その後どういう結果になったのかきちんと説明に行くのが礼儀だしとても大切な所作だと思っているのですが、そういえばこれは自発的にするようになった行為ではない事に気付きました。

すっかり忘れていましたがこれは研究室時代に、大嫌いだった助教Bにキツく指導された事の1つだったのです。(私はBから明確に嫌われており、記憶から消したい出来事が山ほどできた研究室生活を送りました)大学4年は私の暗黒期で思い出さないよう意図的に蓋していたのですが、無意識に体になじんでいた学びもあったんだと少しびっくりしました。(意識しても身につかない事なんて山ほどあるのに!)

負の感情でぐちゃぐちゃの思い出も、実は今の自分の糧になってるのかもしれないと思うと、少しホッとした気付きでした。何か本気で身につけたいスキルなどあったら、酸いも甘いもしゃぶりつくす勢いで経験を重ねるのが大事なんでしょうね。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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