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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第六回〉

 昨日10日、韓国に到着して、換金しに明洞へ行き、内見に行き、ホテルにチェックインするだけだったが、どれも40キロほどの荷物を運搬して、韓国語で質問したり応答しなければならないので、疲労困憊だった。あれだけ身動きが取りづらく言葉もままならないと、外国人と障害者というマイノリティを一気に背負ったようだった。
20時に時間ほど一度寝て、風呂に入って、また0時くらいから7時半まで寝た。
 11日した作業は、10日分の日記を書くことと、『오감도・권태』の注釈情報をテキスト収納ファイルに追記すること。注釈といっても全て追記するのではなく、テキストの出版情報や執筆言語などテキストそのものに関する情報のみを抜粋した。そして論文『1930년대 후반 시단과 이상(李箱)』も序章だけだが読み進めた。以前読んでいたらしい。覚えていない。

 日記を書くのは久しぶりだ。8月初旬くらいまでは空いても三日くらいだったが、めっきり書かなくなってしまった。なんでこんな続かないのだろうと考えてみれば、日記なんて1ページで十分なのに、いつも3、4ページと書きすぎてしまい、疲れ果ててしまう。それが嫌で避けてしまうのだと思う。でも1ページと定めて書くのもなんだか思考の流れを妨げている感じがする。あまり良い対策が思い浮かばないが、とりあえず、1日の最後に日記を開けるだけ開け、ご飯のメニューだけでも書いてみようと思う。そこから筆が進めばそれでよいし、進まなくても別に死ぬわけじゃない。それでいい。思考が流れるように私が動き、流れればそのままで良いのだ。

 論文は序章だけ読んだが、そこに引用されている先行研究者を辿るにはちょうど良い。ただ論文そのものでは、序章で問いに辿り着くまでが長く、引用の仕方も注釈任せな感じがある。でも韓国語の勉強のためにもとりあえず最後まで読もうと思う。

今後、定本作業をするにあたって、寸法などを明記したテキストの複写物がさらに増えると予想される。新たにファイルを購入し、Seriaのインデックス付箋でファイリングしなければならない。

 また、個人名やあまり公表しない方が良いかなと思う情報が含まれている定本作業日誌は紙媒体で記録していく予定なのだが、そのためのノートを買う必要がある。できるだけ安っぽくて消費しやすいノートが好ましい。あまり肩肘張ってしまう立派な雰囲気があると好きに書き散らせないから駄目。書いて、次、書いて、次とできるような雰囲気が欲しい。韓国内新居付近にあったはずの100均でいい、十分だ。
こだわらないというこだわりも時に必要。

定本作業日誌は毎日書くものではない。作業が進むと書く、それで良い。

二〇二三、一〇、一一執筆。 二〇二三、一一、四更新。

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