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シルヴィア・プラス「ベル・ジャー」を読む。

「クイーンズ・ギャンビット」を読んだせいか、急に、この小説と同じ1960年代、もしくは1950年代あたりを背景とした小説が読みたくなった。
いくつか候補があがったが、その中からまずシルヴィア・プラスの「ベル・ジャー」を選び、読んでみた。
私はこれまでこの小説を、最後まできちんと読んでいなかったのだ。主人公であるエスターが雑誌社に招かれてニューヨークにやってきたその冒頭部分を少し読んだだけで、ずっと、そのままにしていた。
これだけ長いあいだ放置していたなんて、信じられない。こんなに、すばらしい小説なのに。

小説の前半、主人公のエスターは、ニューヨークに滞在している。
「あるファッション雑誌が主催した、エッセイや小説や詩や広告のコンテストで賞を取り、その副賞としてニューヨークで一か月間、それぞれがその雑誌社でゲスト・エディターとして仕事をさせてもらえることになっていた」というわけである。

来ているのは、エスターだけではない。雑誌社に招かれた女の子たち十二人が、ホテルに宿泊していた。このホテルは女性専用で、娘が悪い男に騙されるのではないかと心配する裕福な親に育てられた娘たちが、大半を占めていた。

エスターをはじめ女の子たちは、渡航費や滞在費、高級サロンでのヘアカット代も雑誌社に払ってもらい、バレエのチケットやファッションショーの入場パスも渡され、有名人に会えるチャンスまで作ってもらっている。

しかし、エスターは少しも楽しむことができない。若くて、世間から見れば素敵な経験をしているはずなのに、それなのに、重苦しい気持ちを抱えたままでいる。

雑誌社での写真撮影で緊張してしまい、カメラマンにそれを指摘されて泣きだしてしまったり、自分が「できる」ことではなく、「できない」ことばかり、考えてしまったり(料理、速記、ダンス・・・)、雑誌社主催のパーティーで食中毒になりげえげえ吐いたあと、雑誌社から間抜けなお見舞いのカードを見てさらにみじめな気持ちになったり、自分のボーイフレンドが「下品なウェイトレス」とつきあっていたことを隠していたと知り、激怒したり・・・エスターとまったく同じことを経験していなくても、自分にも似たようなことがあったと感じる読者は、たくさんいるだろう。

シルヴィア・プラスの書く文章には、辛辣であると同時に、詩的だと感じる表現が多い。たとえば、ニューヨーク滞在中の、以下のような箇所。

「歩道で待っていた私とドリーンは、タクシーに乗ったベッツィやほかの女の子たちが遠ざかるのを眺めていた。主役の花嫁がいない結婚式のブライズメイドだちが、相手も見つけられず女ばかりで行進しているかのように、彼女たちの姿は情なく無意味だった。」

女の子たちが固まって、ぞろぞろ歩くその様子。それだけのシーンなのに、なんで哀しく思えるのだろう。

エスターは実家に帰ってきてから自殺を図るが、未遂に終わる。そして精神病院に入れられ、ショック療法を受ける。
小説の結末で、彼女のその後については、はっきりと書かれていない。だが私は、エスターはこのあと、医者との面接に通って病院を出て、なんとか道を切り開くことができる、と信じている。

2004年に刊行された単行本の「訳者あとがき」によると、「ベル・ジャー」が1963年にイギリスで出版された際、評判はよくなかったとのことだが、プラスの死後、1971年にアメリカで刊行されると大ベストセラーになったとのこと。
今でも読み継がれているのは、当然だと思う。

最後に、「女性専用ホテル」について。
女性専用ホテルの存在については知っていたが、「ベル・ジャー」を読んで、あらためて興味を持った。
そういえば、グレース・ケリーの伝記にも女性専用ホテルの記述があったはずだ。いろいろと、調べてみよう。いつか、「女性専用ホテル」を舞台に、小説を書いてみたい。







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