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久しぶりに、金井美恵子の小説を読み返す。

久しぶりに金井美恵子の小説を読み返したくなり、「小春日和(インディアン・サマー)」と、「彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄」を読んだ。(この続編にあたる「快適生活研究所」は、持っていたはずなのに行方不明なので、この2冊のみ)

「小春日和(インディアン・サマー)」は、大学生となり小説家のおばさんと同居をはじめた桃子と、同じ学校の友人、花子の話で、「彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄」は、2人の卒業後の話・・・なのだけど、映画を見たり本を読んだり、小説家のおばさんも含めてだらだらと会話をしたり昼寝したり、うるさい母親をはじめ家族との関係のことでぶつぶつ文句を言ったり・・・といった、どうということのない2人の日常が書かれているだけで、彼女たちが深刻に悩んでそれで成長するとか大きな変化が起こる、といったことはない。
彼女たちの恋愛は?というと、桃子は、昔からの知り合いの男の子に言い寄られたりもするのだけど、たいした展開にはならない。ちなみに、彼は父親が水産加工会社の社長で、その会社でカニカマボコをつくっているということなどの理由から、地元でのあだ名は「カニカマボコ」であった。彼は、桃子によってずっと「カニカマ」と呼ばれ続けることになる。花子も、学校を卒業し編集者になるのだがそのときに妻子持ちの男性とつきあっていたということがわかるのだけどそれについても、一、二行で書かれて終わり、である。「それ以外」について読者は、桃子と花子の会話の中で、なんだかよくわからないがいろいろあったらしい、とわかるだけだ。

とにかく、大きな事件は何も起こらない。事件、といえば、桃子が、幼い時の父親と母親の離婚の原因を今になって知って驚く、という「事件」はあるのだけれど、これさえも、日常の出来事と同じレベルでさらっと書かれて終わってしまう。
それなのに、いや、それだからこそ、この桃子と花子の物語はおもしろい。

桃子は大学生となり、おばさんとの生活がはじまるわけだが、その彼女の毎日、といったら、こんな感じだ。

「大学はどうってこともないところで、学生たちは、それぞれ馬鹿そうな顔をしているしーあたしもその一人だけれどーなにしろあたしは、いろんなことに意欲がわかず、学校から散歩がてら、地図を片手に歩いて戻って来ると、夕食を作っておばさんと一緒に食べ、なんとなくテレビを見て(コマーシャルがうるさいからNHKにして、とおばさん)、その後はお風呂に入ってから、ベッドで、おばさんの本棚にいっぱい入っているミステリーやスパイ小説を読み、つい最後まで読みたくて眠るのが遅くなった翌日はどうも起きるのが面倒だし、どうせ大した授業をやってるわけでもないのだから、つい出かけるのをやめてしまう、というわけだ。」

しかしそれでも桃子は、花子という「赤いプラスチックのフレームの眼鏡をかけたチビの女の子」と話をするようになり、その、自分のことを「オレ」と言い、読書家である彼女とーほかの学生とはちょっと違っておもしろそうな彼女と、友人になる。

しかしそののち、この彼女の花子という名前、本名ではなくて、彼女が自分の名前が嫌で、勝手にそう名乗っているだけなのだと判明する。で、本名は何ていうの?と桃子に聞かれて彼女が、吐き捨てるように自分の名前を言うところがおかしい。
ここのくだりで、そうだった、と花子の本名を思い出すと同時に、「軽いめまい」で主人公である主婦が、幼稚園での「おかあさんの手づくりおやつの日」のグループの、「理沙ちゃんや樹里ちゃんや亜沙香ちゃんや星児くんや勇太くんや太地くんといった、流行りの馬鹿っぽい名前の子供のママたち」と一緒にお菓子づくりをするときのことについて考える箇所も、思いだしたりして。

どこを読んでいても楽しいのだけど、おばさんがイタリア旅行に行ってしまい一人になった桃子が、学校にあまり行かずにごろごろ寝てばかりいるところについて書いておこう。
桃子はパジャマがわりにトレーナーを着て一日中だらだら寝て、スーパーに行くときはその上にレインコートをはおって出かけ、食事は冷凍の肉マンだけ、掃除もせず顔も洗わず、ぼんやりして過ごす。
そこへ花子から、「ずっと学校に来ないし、電話しても留守だし、どうしたんだよ?」と連絡が来る。それに対して桃子は、毎日グウグウ眠っていたので忙しかった、と答える。
すると花子は、「よくさあ、ポール・ニザンのさあ、二十歳が人生で一番美しい時代だなんて誰にも言わせない、ていう言葉を引用する奴、いるだろ?」と言う。
それに対して桃子は、「うん、あたしもそれ、聞いたことある。誰もが二十歳の頃一番美しい時代なんて思わないのにね。」
学生時代、休みのあいだにこんなふうに過ごしたことがある私としては、自分のことを読んでいるような気分だった。休み明けに、何をしていたのかと学校で聞かれて、「別に何も」と答えたら変人扱いされたのを覚えている。聞いてきたのが、花子みたいなおもしろい子だったらよかったんだけど。

それから、「彼女(たち)について知っている二、三の事柄」で桃子が、食べ過ぎで体調を崩し寝込むところもいい。桃子はすでに大学を卒業し、紅梅荘という古いアパートに移っている。
そこへ花子がやってきて、桃子のためにニラがゆをつくってくれるのだ。
それを食べた桃子は、寝ているときに、子供の頃に体調を崩したときのことを思いだす。このとき彼女は、体調を崩してトイレが近い、という理由でおばあちゃんの部屋に寝かされていた。そこへ、近所に住むデブのサキちゃんが、キティちゃんの悪趣味な浴衣を見せびらかしに、やってきたのだ。
別に美しい思い出でもなんでもないのに、夏の終わりにお腹をこわして、風に揺れるレースのカーテン越しに庭を眺めながらふと子供の頃の記憶がよみがえってくるこのシーンは、なぜかとても美しい。

この桃子と花子の登場する小説をおもしろい、と言うのは、どうも、女の人のほうが多いような気がする。男の人が、よくわからない、と言っているのを聞くと、こんなおもしろいのになぜなんだろう、と思う。

飲んだり、食べたりするシーンが多いのだが、「彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄」でおばさんと桃子が食べる「阿Q風冷奴」(魯迅の「阿Q」に登場するメニューで、ネギのみじん切りと塩と熱いゴマ油を豆腐にかける)、はじめて読んだときにおいしそう、と思ったのに一度もつくったことがない。
今度、つくってみることにしよう。
















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