映画「ビバリウム」感想(2022.11.7)

パスワードを発掘してこっちで投稿できるようになった。大きい文字が見やすくなったことに感じ入るものがありますよ……。

 さて、「ビバリウム」。嫌な気持ちになると評判の映画である。実際、嫌な気持ちになる。
 映画っていうのは、やっぱり映画館で観たいなあと思う。映画館という空間で全てが完結するからだ。勿論、余韻は残る。帰り道にいつまでもその映画の感想を考えたりする。家でDVDや配信を観るのとどう違うかというと、空間と体験だよなあ、みんな言ってることだけど。この映画は、映画館で観た方が嫌な気持ちは増して、それでいてダメージは少なかったんじゃないかと思う。

 ねずみの三銃士をご存知だろうか。生瀬さんと池田さんと古田さんが何年かに一度演劇をやる、あの。WOWOWに加入しているので、テレビのチャンネル権があった頃はよく観た。録画して何度も見た。あれも何度見ても嫌な気持ちになる舞台だったなあ。傾向としてはこれに近い感じ。

 理解できない。同じ人間の形をしているのに通じ合えない恐怖。

 「ビバリウム」は若いカップルが家探しをしている最中、不動産屋に新興住宅地に案内され、そこから出られなくなる、というあらすじ。ポスターを見ると、どうも自分たちのものではない赤ちゃんを抱いていて不穏だ。絵画のような家、絵画のような空。無機質系ホラーね、と心構えをして見ることができるのだが、オープニングを見るとのっけから映画全体の構造が分かる。なんなら主要人物が揃ったところでオチまで分かる。
 不可避の展開を追っていくけれどダレる感じはない。それは不可避のこぎれいに整えられた舞台装置とシステムに対し、不確定の動きをする異分子である若いカップルの描き出す変調が面白いからだ。
 希望を持ってはへし折られの繰り返し。システム側は人間ふたりが悩んだり突飛な行動に出たりするのも別に愉悦ではない。許容範囲内のブレにすぎない。なんなら割と最初の方で家を燃やしちゃうんだけど、それさえ問題ではないのである。怒りさえしない。
 希望をへし折る繰り返しの最たるものは子ども(ポスターの赤ちゃん)である。子どもが生意気だからむかつくのかなどころの話ではない。カップルの女性側は特に小学校の先生なので子どもがどれだけ異常であっても冷酷になりきれず、なんなら合わせて理解しようと努力するんだけどそれさえ虚しく裏切られる。

(以下ネタバレ)

 カッコウの托卵のように、家を買いに来た男女ペアに子どもを育てさせるというシステムなんだけど、じゃあ新しい子どもはどこから出てくるんだろうって思った時、最悪の寝取られを想像したよね。だってカップルのベッドシーンをじっと観察してたもんこの子……。これ実践するんじゃないの? そんで新しい子どもを産ませるんじゃないの?って思った。そのくらいやってもいい映画だったと思うんだけど、このカッコウ的不動産屋の存在は卵生なのかな…カッコウだし……。
 私が作り手だったら絶対この嫌な寝取られをやったと思うんだけど、それをしなかったのは制作側の理性ですかね。クリーンなシステムが生々しくなっちゃうもんね。
 今年「ボーダー」「LAMB」ときて「ビバリウム」と突然赤ちゃんが送られてきて、自分の人生とは? みたいなのを問い直す映画を三本続けて見たのはタイミングが重なったものだなあ。

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