マルシン U.S. M1ガーランド 8mmGBB エアガンレビュー ガスガン
マルシン M1ガーランド
ガスブローバック
おすすめ度
80/100
このテキストデータの作成意義
伝説的名銃 M1ガーランド!
第二次大戦からベトナム戦争初期まで戦い続け他国への供給でも愛され続ける名銃
グッドルッキングガンなので未だに世界各国で儀仗用として使用され続ける
本品は8mm…性能は…
とてつもなく寒さに弱いのでヒートガンとお部屋で暖めまくって何とか撃った
試験環境
屋内 7m(廊下から部屋の端から端)
使用BB弾 (屋内)S2S0.2gプラスチック
弾速計 XCORTECH X3200 MK3
初速
[41.96][42.35][38.95][41.75][41.21]
時期が時期故にヒートガンでひーこらひーこらあっためてこの体たらく
8mm 0.27gを使用している
8mmの法廷初速のエネルギーは約1.64Jとなる
超絶アバウトに0.27gなら110m/sくらい
なのにこの体たらく
実銃の簡単な解説とか
19世紀より銃器の進歩はあまりにも飛躍的に発展した
薬莢を開発しても前時代的な単発銃から一気にレバーアクション ボルトアクションへと進化した
そうして望まれたのは自動装填式の銃器である
そして様々な銃が生まれた
レミントンM8
ルガー1906
ウィンチェスターM1907
モンドラゴンM1908
スプリングフィールドM1903のピターセンデバイス
ハウウェル1915
フェドロフM1916
BAR M1918
リベイロールス1918
ファークァー・ヒルM1918
このように第一次大戦前中後は第二次大戦よりも野心的に銃器を開発していった
だがBARなど幾つかの例外を除きこれらは性能上の不安とコストの高さに負け歴史の中へと消えていった
1918年6月に大戦中から標準局で軽機関銃の改良を行っていたジョン・キャスピアン・ガーランドがマシンライフルと言う名の設計案の試作機を完成させた
それが評価され1919年11月にスプリングフィールド造兵廠に雇用されることになり半自動小銃の設計に携わっていくこととなった
1920年にガーランドの設計したT20と共にいくつかの小銃が試験に参加するもすべての銃が不合格となった
1924年に再度試験があり改良型T1921を提出し有力な新型小銃として認められることになる
それを基にT1924に改良
そして同時期に陸軍で注目されていた小口径小銃弾.25レミントンとピダーセンデバイスで有名なジョン・ピダーセン技師の開発したそれの改良型.276ピダーセンが発表された
そして陸軍は.276ピダーセンを制式弾にすることを発表そのピダーセンもコンペに参加しT1を発表
そして対応したT3をガーランドが開発した
ピダーセンT1とガーランドT3の一騎打ちとなったが生産性と部品の互換性からT3が勝利
試験部隊においてもT3は評価が高かったが妙なところでアレなダグラス・マッカーサーの「今でも大量にある.30-06弾じゃないと調達コストと混乱が起きるから駄目」という言葉により.30-06に設計変更
仮名称をT1として再度試験運用 そして改良を繰り返し1932年8月にはM1と名称を変更
1934年8月からは80丁のM1半自動小銃による性能評価および改良が繰り返し行われ
1936年1月9日に制式小銃として採用された
所感
クリップのエジェクション
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