映画「息子」感想

山田洋次監督の「息子」を鑑賞しました。やっぱり山田洋次監督に家族についての作品を描かせると素敵な作品になるなと感じました!本作についての概要、感想を書きます。

作品概要
公開日:1991年
配給:松竹
監督:山田洋次
脚本:山田洋次、朝間義隆
出演:三國連太郎、永瀬正敏、和久井映見、原田美枝子、田中邦衛、いかりや長介

ストーリ(wikipediaより抜粋)
東京の居酒屋でアルバイトをしている哲夫は、1990年(平成2年)7月(バブル景気時)、母の一周忌で帰った故郷の岩手でその不安定な生活を父の昭男に戒められる。その後、居酒屋のアルバイトを辞めた哲夫は下町の鉄工所にアルバイト(後に契約社員へ登用)で働くようになるが、製品を配達しに行く取引先で征子という美しい女性に好意を持つ。哲夫の想いは募るが、あるとき彼女は聴覚に障害があることを知らされる。当初は動揺する哲夫だったが、それでも征子への愛は変わらなかった。翌年の1月に上京してきた父に、哲夫は征子を紹介する。彼は父に、征子と結婚したいと告げるのだった。 

感想
ストーリは、良くも悪くも上記内容が全て。いわゆる退屈な映画に分類されるのかもしれない。そう、ただのヒューマンドラマの家族映画だ。
しかし、そんなただの家族映画を素晴らしい作品にしたてるのが山田洋次監督なのである。
山田監督は、小津安二郎さんの影響を受けていることもあり、家族についての話を描くことが多く、作家性が現れている。本作もそんな家族の映画の一つである。
本作で監督が描きたかったもの、息子・哲夫の成長を通して、父が幸せを感じるという、当たり前の構図。父は子供が全てなのだ。

岩手に帰省した哲夫は、父の仕事である百姓を馬鹿にしていた。父からは「仕事で大事なのは、長く続けて、手に職をつけること」と言われる。その時はなにを言ってるのか哲夫はわかっていない様子ではあるが、きっとどこか心には響いている。なぜなら、東京に戻った後、「汗を流す仕事がしたい」と言って、きっつい鉄工所で仕事を始めるからだ。ただ、彼は「いつ辞めてもいーや」というスタンスがあるのでまだ、腹の底から変わっているわけではない。
ここの鉄工所で登場するキャラがまた良い!特に、田中邦衛演じる運転手。こいつが文句ばっかり言って、低所得者階級を代表した嫌なやつ。しかし、こいつがいることで、哲夫に共感を生み出す。「この運転手いやな奴だなぁ。」って。哲夫も映画鑑賞者もこれを思うので、うまく共感ポイント作ったなと思った。

この物語の大事なのポイントとなる、哲夫を恋をするシーン。恋が哲夫の全てを変えた。恋の相手は、鉄工所の客先で働く女性。実は耳が聞こえない女性であった。しかし、哲夫は気にしない。田中邦衛演じる運転手から「やめとけ、あの聾唖者は」と言われるが哲夫は「自分がなにほどの人間だって言うんだ」と言って、彼女と付き合うことを決意する。この「自分がなにほどの人間だって言うんだ」と言うセリフ。名言だなぁ。これどの恋愛にも当てはまると思うんだよね。相手の嫌なところを受け入れてない人たち、自分はどれだけ崇高な人間なんだってね。

ある日父が、戦友会のために東京へ出てくる。長男は父へ「東京出てきて、うちに一緒に住もう」と父の体を心配して投げかけるが、父は素っ気ない返事。長男は「こっちだって我慢するだから」と言ってしまう。父は傷ついただろう。息子に苦労をかけたくない父の気持ちがすごく分かる。そのまま次男・哲夫の家へ。哲夫は、この子と結婚したいと彼女を紹介する。その際、父は「息子をよろしく」と言う。このシーンが泣けるんだ。耳が聞こえないなんてものはどーでもいいんだ。息子を慕ってくれてる素敵な女性。これしか見えてない。父は嬉しかったんだなぁ。その日の夜は、哲夫に酒を飲みながら歌を歌う。この喜びの表現を歌にするって言うのが、すごくいい演出!言わずとも、「嬉しい」「幸せ」が伝わってくる。ここで、子供の幸せは親の幸せなんだなぁとはっきりわかる。

最後の岩手の家に帰るシーンも泣ける。昔のわいわいしていた思い出を振り返る。このシーンを見て、誰しもが親大事にせなあかんと思うだろう。昔の思い出と一人と言う現実のギャップがよりいっそう寂しさを引き立てる。さすが三國連太郎、哀愁漂う素晴らしい演技で観客を泣かせる最後に仕立て上げる。素晴らしい作品。

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