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垂れ流し弔い-ノラガミ
関わっている以上影響を与えるのは必然で、「この世から跡形もなく消滅したい」とか「はじめから存在しなかったことにしてほしい」とか思う日もありますが、到底叶わないことなので、関わる、関わりあう、影響を受け、影響を与えるということをもう少し深く考えようと思ったというお話しでした。
その人にとってどの様な存在であるかで、自分の行動が強く影響力を持ってしまうのが怖いなと思い、距離を置き続けてきた13年。
大切に想われなければ、そんなに影響を与えないだろう、傷つけることはないだろう、と予防線。
もう既に懲り懲りだった。
自分の想いが届かなくてもいいから、元気に生きていてくれればそれでいい。
そんな感じで生きてきましたが、
どんな距離であろうと関係を持てば影響を与えるし、どの様な存在なのかは、自分ではコントロールし難いこともある、と言うことは社会に出てから経験した。
仕事は人と人で成り立っているので、それ相応に関わり合うので影響を与えあう。(大切かどうかの情緒的なところでなく。)
後は「大切に思うな」というのも無理がある。
初めからずっとツンケンしとけばいいのに、自分から懐いちゃうことも多々あるので余計に。
勝手に懐かせてくれ、特に大切とか想わないまま、側にいさせてくれ、野良猫だと思ってくれ。
愛されるのは怖かったので、嫌われると哀しい気持ちと共にどこかほっとしていた。
ノラガミという漫画の中では、
主(神)は従者(神器)の、感情からくる感覚を共有する能力がある。人が持つ罪の意識などが、主への身体的苦痛となり伝わることで、神は善と悪を学ぶ。
そういう風にできている。
気を病めば主の体に障り、
魔が刺せば、周囲の人(神器)が感化されてしまう。
神器の精神の乱れは、主人に苦痛しか与えないし、
神器が悪事を繰り返せば、その主人が患うことになる。
他人を傷つけるのも、自分を傷つけるのもそこでは同じなのだ。自己と周囲の境界が曖昧に描かれている。
大人になってから、気にしいを通り越してる様な人に何人か出逢った。エンパスの人に出会ったり、ペリパーソナルスペースに対する知覚が超過敏な人に出会ったり。
(ミラーニューロンが強いのかな?勉強しよう。)
こういう人達には、影響を与える上で関係性なんてものはあまり関係ない。
人間にノラガミの世界様な感覚の共有や影響はないけれど、自己と周囲の境界線なんてどこまでも曖昧だ。
関係性に依存する形を取りやすくはあるが、それだけを捉えて距離を置こうとするのは得策じゃないな〜などと。
結局は、そこにいる自分が全て。
おまけー
<影響>に関する教科書だったのかも知れない、と黙々と読み返している。今日この頃。
キレすぎる!無闇に切るものじゃない。
どこまで切るか、どれを活かすか、お前が線引きしろ。その引き方次第じゃ現世まで全て切るぞ。
ーノラガミより。
おまけ2ー
エンパスとかは実感としては分からないけれど、
身体の共鳴性が高い/自我が希薄というのはなんかわかるな、と感じた。
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