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声
生き方の帆が、いついなくなってもいいようにいるためにいるものだった。
やりたいことはまぁ生きてるならやるか!ということに潜ったら気付いてしまい、一番望んでることはそれだったのか〜などと。
しょうがないか。
いつでも飛べる時に飛びたかったんだから。
それがなにより捨てられずにいたことだった。
どこか、人と深い関係を結ばないようにいたり、記憶には残らずとも体に染見込んで残るようににしたり、それらはそういうものみたい。
積み重ねない、約束しない。
取り敢えず手放したい限りはあまり人と深く関わるのはやめよう。
もうすぐ何かが掴めるかも!とか、何かが在るという状態より、不幸のほうが安心。これ以上不幸になることがないから。
全ての選択肢が消極的だなぁと思うし、全部自分の為でしょうもないけれど。
取り敢えず死んじゃ駄目だ!というのと、人生の全てに絶望するほど何かに期待することもなくなり、2年間でちょぴっとだけ成長したらしい。
未だに、大切な人達には、"最高の嘘は真実です。"ということで、心配かけたり失望されたくないがために頼ることも出来ませんが、まぁそれもヨシ。
親にも心配かけまくってた時期の後、まぁ上手くやれよということも込めて心配かけない為の資産も貰ったのでしゃーなし。どうにかしよう。マジでだめになったら頼るけど。(オイ)
社会的にどうなろうと、取り敢えず生きてくれてればいいと言ってくれる人や、死んでもいいよ。それまでは一緒にいようね、と言ってくれる人だけ近いところにいさせて貰っている。
コイツだったら程々に心配し過ぎず相談乗ったりしてくれるかも!という友人をあたり、今回も話聞いてもらったり、相談をした。心配はさせてしまったけれど、死ぬつもりはないんだな。と彼女の中で確信が持てた瞬間に心配してた感じが殆どなくなり、「それならいいや!好きにしな!」という態度になり、それも有難かった。
まぁそんなこんな、これからがまだあるのでどうしようかなと思いつつ。
まだなにも予定を立てていないけれど、追い詰められないとやらないみたいだし、このくらいで取り敢えずいいのかもしれない。ナム。
あと萎縮してたり、どうにかなるやろ!って気持ち忘れてると陰りはじめるので、軽くいようね。
重さより軽さ重視で。
どうにかなるやろ!もやるべきタスクやればね!
やる?やらん?というだけ。
存在の耐えられない軽さ、をもう一度読もうね。
ゆっくり自分と向き合って反省して前進もう。
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