見出し画像

そういうけれど。

〇〇歳になった時にこう思いたくないから〜と話始める人のことをいつも君は嫌がるけれど、遠い未来のことなんてわからないじゃないと、そう言いながらも君は寂しさを感じているし、痛みも感じているじゃないか。

信じられないからこそ迎えに行ってるんだよ。
これは祈り、祈りとそれだけじゃ足りない何か。
寂しさは知ってしまっただけで、痛みは夢想。

絶望する直前、私は私の事を大切にしすぎてる。
もうすこし手放して、届けて。

“たった今”私である感覚だけしか信じることが出来ないのに、確信する事はできないからもどかしい。一寸先のことも過去の私のこともなにもわかりません。
それでも目を閉じる時、明日を祈らないのは傲慢ですか。朝目が覚めた時、少しだけどうしようもなく誰かを抱きしめたくなるのは何故ですか。

死のうと思った時に感じたのは死の恐怖じゃなくて、生への執着だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?