所々うまくいかなくても、全部駄目なんて事はないよ。と人には伝えていた。

深く関わろうとしてくれる人にほど距離を取ろうとしている自分がいる。
防衛本能だ〜♪なんてヨルシカが歌っている。

「宵越しの金は持たない」みたいな感覚で人と関わることを求めてるから、その場限りの関わりばかりを過ごして、誰とも積み重ねない。

初対面の人に弛んだ心を預けて、ひとときの時間を過ごす。塞ぎこんでる日々からのドーピング。それなりの対価。弛んでるときは誰かと海に潜ることができたから、積み重ならなくてもある程度は、人との関わりはそれであまり問題なかった。

全員と延々とそれが保てたら1番の理想だった。
ただ経過と共に同じ状態が保たれることは少なくなる。
保つという事の難しさ。無常〜〜〜。

その割に変わらない自分〜〜。いつまで経っても、遠いからこそ近くにいれて、近いからこそ遠くにいこうとする。防衛的な自我を創ってきた人は、その変更に大きな苦行が強いられるだってさ。おいおい、困った。


そんな日々を半年ちょい続けていて、今近くにいる人と向き合うことから逃げて、逃げて、逃げ続けて、遂には逃げる事が目的みたいになっている日々になってしまい、ある時嫌気がさして全部やめた。
明らかに、目的が裏返っている。
一時的に必要不可欠としていたドーピング的行為に日々が乗っ取られていた。これじゃあかんと思ったのと、逃げ続ける体力も依存し続ける体力ももう無かったから辞めれた。

ドーピングを辞めて、一回壊れて、それでいいんだと思った。

あれからもう大分経つけれど、未だに目を瞑り続ける日々もあり、しんどくて色んなドーピングをしてみたりする日々も間に挟みながら、牛歩ではあれど、昔よりかは向き合えてるんじゃないかと思う。

ドーピング辞めてからは、大切にしてくれる人達に心配をかけまくってしまった。未だに抱え込まず且つ心配かけないように自己処理する事がうまく出来ないけれど、めげながら頑張るぞーい。

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