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川の中で約束をするということ。


誤解されながら人と関わるのきっつ!!!

こう感じてます、こう感じてたのでこういう行動をとっていました。というのは別によくて。

そう捉えるあなたがいて、こう捉える私がいて、フィルターが違くて、相手の目を持つことは難しいことで、言動などから読み取るしかない。

寄り添うということは大変なことだから、私達は自分のことを伝える必要があるし、相手を知ろうとする必要がある。要は、対話をする必要があるのだけれど。

そう思えたのは最近で、私は自分のこと知ってもらいたいとか、自分のこと大切にして欲しいとかあんまりなかった。

なので自分のことを伝えず、誤解されて苦しんでるのは自分に落ち度があるのだけれど。

ある意味では恵まれていたのかもしれない。
分からないまま、曖昧なそれを受け止めてくれていた人達に囲まれていたから。
「そうなんだね」と共感しないまま、相手を捉えきれないまま、こうなのかも知れないな。で動いていたから。

上手くいかない時はいつでも思い込んでしまった時だった。捉えきれなかったこと達が、きっとこうだろうと仮定され、いつのまにか思い込みとして固定されてしまうことがままあった。

ただ、「わかって欲しい」と言ってくる人もいなかったから問題ではなかったんだよな。当時も、それは嫌ですと伝えてくれたり、それは好きだ!と伝えてくれてくれる人もいれば、そのまま離れていく人もいた。

つかずはなれず。
「一生付き合っていく気がないからそれが出来てるんだよ」と言われたとき、否定的に言われて(捉えて)、暫くよくないことなのか?とかグルグル考えてたけど、

一生とか、ずっととか、そういう言葉が何かを強めるとしたら、そういう態度が何かを強固にするとしたら、まぁ安心感なんだろうな。 

曖昧なことや信じることは不安だから、
相手には貫いて欲しいし、そういう態度で安心させて欲しいんだろう。

相手に約束を欲しがることは、絶対でも永遠でもないであろう愛を、微笑んで受け取るその人の穏やかな愛を見失う霧でしかない。

話がそれたけれど、
誤解されたまま人と関わるのキツいけれど、分かってほしい!ともそんなに思ってないなぁ。という話でした。

追記.

まぁ、伝えたかったことは、
「”相手のとこも自分のことも尊重しながら、長く共存を図っていく事”について考えてこなかったんじゃない?」ということだったのだろうな。

共存という意味で、誰かへ執着はなかったのかもな〜。
まぁお互い川の中で流れているのだから、くっついたり離れたり(天体系のイメージ。)しながら生きていくでしょう。
ゆるゆるといきましょ〜くらいの心持ち。

圧がなくて軽薄な自分はまぁ好きだ。


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