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愛することを教えてくれた人


隣のおばさんが亡くなった。
私は、自分の生まれ育った家に今も住んでいて、おばさんはもちろん、生まれた時から隣のおばさんだった。

母親とおばさんは仲が良く、母は調味料が切れたら貸し借りをしたり、ものをたくさんもらった時はお裾分けをして仲良くしていた。
私も、明るく、気前がよく、美味しいものをたくさん作ってくれるおばさんが大好きだった。


私の母は40代で亡くなった。
私はまだ、就職をしたばかりで、ろくにお料理もできなかったので、おばさんが気にかけてお料理を作って持ってきてくれた。
「あんたのお母さんは本当にいい人だったやあ。寂しいやあ。」
そんな風によく母のことを思い出してくれた。おばさんの心からの言葉に何度も涙が出そうになった。

私が結婚して、子供が産まれた。
母親は亡くなっているし、旦那さんは仕事で忙しいので、ワンオペで育児をしなくてはならなかった。正直、辛くて、いつも寝たい寝たいと思っていた。
誰か助けてくれ〜〜!本当にそう思っていた。
その頃は、あまりお隣と交流をしていなかったので、赤ん坊がギャ〜っと泣いていても、気になるけれども声をかけずらかったようだ。
子供が歩けるようになると、近所へ散歩へ行くようになり、その時におばさんが話しかけてくれた。
「ごめんね。大変そうだったけど、声がかけられなかったよ。大変な時はいつでも子供を預かるからね。」
そう言ってくれた。とてもありがたかった。
申し訳ないと思うが、どうしても眠たくて限界が来ると、まだ幼稚園前の息子に
「隣にいっといで」と行かせて、やっと眠ることができた。
子供は「うん」と言って家を出て行く。小さい子供を一人で行かせてひどい親だが、見届けると死んだように寝た。昼寝から目覚めて隣へ迎に行くと、楽しそうな笑い声が聞こえた。ホッとした。


本当の孫のように息子を可愛がってくれた。
「この子は立派な大人になるよ。頭のいい子だよ。」といつも言ってくれた。
職場でも、「隣の子がいい子でねえ」と自慢してくれていたようだ。
息子が好きな食べ物を作ってくれたり、畑へ連れて行ってくれた。

突然おばさんが倒れて亡くなった。
80代だったから、いつかそんな日が来るのかと覚悟はあったが、とうとうその日がきてしまった。
私にとっては第二の母のような存在で、どんなに感謝しても足りない。
辛い時に何度も助けてもらい、人は一人では生きていけないんだな、誰かに助けられて生きているんだな、と言うことを学んだ。
本当に辛い時に助けてと言える勇気も学んだ。
そして、自分も誰かが困っているときに、助けてあげられる存在でありたいし、無条件に喜ばせてあげられる存在でありたい。
それを隣のおばさんから学んだ。

おばさんを思い出すと、感謝で泣けてくる。
おばさんありがとうね〜!働き者のおばさん、天国でゆっくりしてください!

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