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通知表に思いを込める

誰もがドキドキしながら受け取った経験のある通知表。成績のところに目が行きがちですが、当然あれを作成するにもひと苦労ふた苦労あるわけです。

働き方改革として、通知表の行動所見記入をやめるという動きがあります。時代の流れとして受け止めるべきなのでしょうが、私自身は担任の先生からの言葉を読むことは好きでした。当時はわりとネガティブなこともそのまま記入されていたので今読み返すとかえって面白かったりします。

子どもにとっても親にとっても、「一生残る文章」です。教師という仕事は大変で、ブラックで、プレッシャーもかかります。それでも、こういった文章でダイレクトに子どもや保護者を励ましたり支えたりすることができるということはやっぱり特別な仕事だし、丁寧に取り組むべき教師の役割だと、私個人としては思います。だから、行動所見については働き方改革の対象にして切る前に、もっと切るべき仕事がほかにあるのではないかと思ってしまうのが正直なところです。

苦手だった行動所見記入

ここからは、通知表の作り手側の教師のお話。通知表には色々な記載欄があります。学習に関するもの、総合的な学習への取組、道徳科についての文章の評価、出欠席日数、そして行動所見。学年の先生で分担して入力を進めて、何度もチェックされて児童・生徒に届いています。

その中で、担任が子どもたちの学びを学期末に文章として価値づけて励ますものが行動所見です。私は、担任になりたての頃はあまり好きな種類の仕事ではありませんでした。しかし、当時の管理職の先生がじっくりと指導をしてくださって、何度もやり取りをして完成版を得ることができました。赤の入った文章の裏面には、A4用紙1枚分、びっしりと担任としての私へのメッセージがありました。今でも大切に保管していますが、自分が受け持つ子どもたちにも、こういう思いをさせてやりたい、と思うようになったきっかけでした。

思いを込める

せっかく書くなら、伝わる文章にしたい。最初と終わりの文章は同じ定型にして中身だけ変えればいいなんていうのは、私は心底嫌でした。私が意識してきたことを以下にまとめます。

1 あたたかく。そして学びや成長を価値づける文章にしよう。

その学期中に感じた子どもの成長やこんな学びがあって、こんな気持ちで取り組んでいたとか、先生が気付いていることを記載する。親には見えにくい一面をぜひ残してあげてほしい。あたたかい言葉でね!

2 説教とか、直すべきところは誰にでもある。それは直接指導しよう。記録として通知表に残す必要はない。

通知表に、「私語が多く集中力に欠ける生徒で、周囲の学習への配慮が足りない場面が多くみられました。今後の成長に期待しています。」なんて記載されていたらどうでしょうか?学校の先生って、それを指導して成長させるためにいるんでしょ。学校で何してるの?観察しているだけ?という捉え方をされてもおかしくない。先生は直接指導しているはず。それを一生残る文章に記載する必要はないし、それを受け取った子どもがその文章を読んで前向きに頑張ろうと思える子は少ないのではないでしょうか。指導すべきことは直接。価値づけてあげたいことを行動所見に。これは徹底してきました。

3 本人の言葉とか考えを文章に残してあげたい。

担任の先生が1クラスで担当する子どもの数は、学年にもよりますが最大40人です。40人に対して個人的な学びや成長を価値づける文章を残していくわけです。これは簡単なことではありません。かといって、担任の空想で創作するのは実態にそぐわない一方的な仕事です。そこでお勧めしたいのが、子どもの休み時間や昼休み、放課後の教室などで、話しかけることを習慣化してしまうこと。何気ない言葉や表情で、悩みとかつらさとともに喜びとか今頑張っていることなんかも話してくれます。逆説的ですが、通知表にポジティブなことを残そうと思うと、子どものポジティブな面を知ろうと思って子どもをみるようになります。本当は先にその視点があるべきだけど、結果としては同じ。良いところを見つけようとする目をもってください。

4 子どもの名前が文章中になくても学年の先生が「あの子だ」と気付ける文章にしよう。

その子にしかないオリジナルの文章を残してやりたいと思って書いてきました。書きあがった文章は管理職だけでなく、より近くで関わっている学年の先生にも読んでもらって、誰の文章か当ててもらえるか確認し合うのも良いと思います。

5 文字数に極端な差を出さないようにしよう。

僕が意識していたのは一人につき200~250文字でした。ツイッターで140文字と考えると、大したことないように思いますが、気の使い方が違います。私のスタンスとしては、文字数に多少の差がでてしまうのは仕方のないことで、周りと文字数を揃えるために良いところさえも削るというのはよくない、というものです。それを前提としての話ですが、どうしても書いていると文字数が膨らみすぎてしまうことがあります。ただ、生徒同士で読み合うことも考慮しておく必要はあって、例えば自分には100文字の淡白でありきたりな、誰にでも当てはまりそうな行動所見なのに、友達が350文字のその子にしかないようなオリジナルの文章だとしたらどう思うでしょう。やっぱり自分だったら少し悲しくなるように思います。

ぜひ素晴らしい文章として子どもの成長や学びを価値づけてあげてください。

Supportia学長 瀧澤 哲郎