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組み写真修業の効果のほどは?

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組み写真の修業時代とは

 私が組み写真を学んでいたのは2003年3月からの約一年間のことでした。虎の穴みたいな講座に通って、月に一度ずつコッテリ絞られました。そこで写真を組むことで時間の流れを表現出来ることを学び、流れと繋がりという組み写真の基本原則を、どうにかこうにか体得しました。私の作風にどんな変化があったのか、今回の投稿で御披露します。

 たまたまですが、虎の穴みたいな講座に通い始める直前に撮ったのと同じ被写体さんを、講座を修了するチョット前くらいに撮っていました。なにせ組むことを意識しないで撮った2003年撮影のものを、無理矢理に組みあげておりますので単純に完成度を比較すべきではないと思いますが、私が作風を変えようと工夫しはじめたことは、よくわかると思います。

 ポートレートの組み写真では、カメラ目線ばかりだと組みようがないので目線はずしを積極的に撮るようになりました。

 写真を組むときには前後の繋がりを意識しなければならず、唐突な変化を緩和するため、次のカットに繋がるよう意識して撮るようになりました。

 そうした変わり目が、垣間見えるかと思います。

Before


2003年1月撮影

 ストリートで撮ろうということで「私服でお願いします」と言ったところ普通にコートとパンツスタイルで御登場でした。しかし、公園のトイレから出て来たら、パンツが見えそうな(実際、見えます)スカートと、バストがはみ出すチューブトップに早変わり。連れだって歩いていて、警察官に呼び留められるとしたら、とっちめられるのは中年オヤジの方でしょう。ホント気が気でなかったです。しかし、まあ、寒いのに肌を見せるのは、或る種のポリシーなのだと悟りました。そういう人なのです。終始、圧倒されながら撮影しておりました。

 ざっくり言って、陳腐な作風です。捻りも工夫も無く、考えなしに撮ったそのままですね。ソレで良いのが撮れる人もいますが、私はそうじゃない。

After

2004年1月撮影

 このときも「着替える場所が無いので私服でお願いします」と言ったのにこんなスタイルで駅前の待ち合わせ場所に御登場でした。その格好で堂々と歩き回っているのだから過激なファッションだと受け止めました。

 人によっては、ファッションとして奇抜な服装をしているときに、それをコスプレと混同されるのを嫌います。私はイベント会場で着替える場合にはコスプレ、そのスタイルで電車やバスに乗って家まで着替えずに帰る場合はファッションだと思って区別しています。

変わろうとしていた

 私が修業時代に作風を変えたいと願い、変わろうとして藻掻いていたのは二組の組み写真を見比べると、よくわかると思います。自分でも驚くほどの変わりようでした。

 ただ、その変わり方が良かったのか悪かったのかはワカリマセン。

 このあとさらに作風の変化は続き、いまもチョットずつ変わっているのを自覚することがあります。それが「向上」なのか「劣化」なのかは自分より御覧くださる方々が決めることでしょう。

おわりに

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