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『奇跡のデュエット』はなぜ実現できたのか? 情熱と希望を胸に進み続けるイタリア在住日本人ソプラノ歌手の物語

世界中が新型コロナウイルスの脅威に怯えていた2020年3月。私たちの元にこんなニュースが飛び込んできた。厳しい自粛生活が続いていたイタリアに住む日本人ソプラノ歌手が、偶然知り合った近所のオペラ歌手と共にマンションの窓越しにデュエットを披露したというのだ。

「新型コロナが感染拡大するイタリアで、ある日本人ソプラノ歌手に起きた“奇跡”。」
https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/aira-italia

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この『奇跡のデュエット』を実現したのはイタリアに留学中の声楽家・原あいらさん。異国の地で不自由な生活を送りながらも美しい歌声で人々の心を明るくした原さんとはどんな人なのか。詳しくお話を聞かせていただいた。

歌うことが大好きだった少女から、戦う歌手へ

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愛知県で生まれ育った原さん。音楽との出会いはいつだったのだろうか。

「両親がクラシック音楽のファンだったこともあり、幼い頃からピアノを習っていました。レッスンや発表会では歌を歌う機会があり、小学生の頃、自分はピアノより歌の方が好きだと気づいたんです。理解を示してくださった先生が演劇の舞台に立つ機会を作ってくださるなど、いろいろなご縁をつないでくださいました」

両親の勧めもあり、中学2年生からは声楽の師匠に門下入り。高校も音楽科に進んだ。中学時代には「こんなに早く将来のことを決めてしまっていいのか」との迷いもあったというが、高校で専門的に音楽を学んだことでより音楽への思いを深め、東京の音楽大学へと進む。

大学時代には思うように歌えないスランプの時期も経験した。身体そのものが楽器である声楽はとてもデリケート。それまで習っていた先生と発声の方法が違えばうまく歌えなくなることも珍しくない。しかし門下に入ったからには新しい先生の言う通りに直す必要がある。そのような自らの技術を向上させていく戦いに加え、音楽の世界には、さらにまた別の戦いもあるという。

「この業界に限った話ではないと思いますが、上下関係に厳しいうえ、プレイヤー同士も足を引っ張り合うなどのライバル関係になりやすい。パワーハラスメントやセクシュアルハラスメントが往々にして問題になりやすい世界なので、そういうものとは常に戦っていかなければなりません。私自身もそういった辛い経験をしたことがあります」

そのような現実を目の当たりにし、音楽の世界に失望したり活動を辞めたくなったりすることはなかったのだろうか。

「本当に辛い時期、攻撃してくる人だけじゃなく、守ってくれる人もいたんです。ちゃんと見ていてくれる人もいる、助けてくれる人もいる。それにすごく救われましたし、捨てたもんじゃないって思いました。本当に信頼できる人がわかったという点では悪いことばかりでもなかったかなと。辞める決断ならいつでもできます。今は音楽をもっと追及していきたい気持ちが強いので、辞めたいとは全く思っていません。また、最近では以前話題になった#MeToo運動をはじめ、そういったハラスメントの問題にも声を上げやすくなって、とても良い世の中に変わってきていると思います」


グローバルな環境で芽生えた新たな思い

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その後、鹿児島国際大学大学院の博士後期課程に進学。国際文化研究科に籍を置き声楽を学ぶ中で、新たな思いが原さんの中に芽生える。

「国際文化というだけあって交換留学や交流事業が盛ん。私も台湾に行かせていただいたことがありますし、周りの学生さんたちの考え方もとてもグローバル。そんな環境の中で世界中の文化を知ったり音楽を通じていろいろな人とコミュニケーションを取ったりするのはとても充実感がありました。そこから、音楽を通じた『国際交流』を強く意識するようになったんです」

そんな折、かねてより熱望していたイタリアへの留学が決まる。現地の講習会に参加していた原さんの歌声を気に入った教授が『推薦書を書くからうちの大学を受験しないか』と提案してくれたのだ。そしてイタリア国立マントヴァ音楽院を受験。見事合格し、2019年秋から2年間、同院で学ぶこととなった。

「短期でもいいから行きたいと思っていたので、2年間行けると決まった時は本当に嬉しかったです。オペラの発祥はイタリアですから、イタリア語でレッスンを受けたり、現地の人がどう歌っているかを直に聴いたりすることはとても大事だと思うんです」

最高の環境を手にした原さんは充実した日々を送る。

「音楽の講義や留学生向けの語学の授業を受けながら、歌のレッスンを受ける日々でした。音楽院の中での演奏会に加え、先生からの紹介で外部の演奏会に出させていただくなど、人前で歌う機会もたくさんあります。それから歌劇場の最高峰、ミラノのスカラ座でオペラを聴くという夢も叶いました」


困難の中での出会いが教えてくれたこと

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しかしそれから半年ほど経った2020年2月、充実した日々に暗雲が立ち込める。新型コロナウイルスがイタリア国内で猛威を振るい始め、外出は自粛、学校も休校に。原さんは異国の地でひとり、自粛生活を送ることになってしまった。

「先生がオンラインでレッスンを受けられるようにしてくださり、自粛生活に入ってから2週間後にはレッスンは再開できたのですが、やはり応急処置的と言いますか、直接指導を受けるのとは全く違います。それに、自分がコロナに罹ってしまったらどうしようとか、いつまでこの状態が続くのだろうかとか、いろいろ考えると不安でした」

外出規制が1か月ほど続いた頃、イタリア各地である運動が始まった。お互いに面識のない不特定多数の人間が、時間を決めて各自の家やバルコニーで演奏したり歌を歌ったりする「フラッシュモブ」。原さんにもインターネットを通じて「夜6時になったらバルコニーに出て歌を歌いましょう」という呼びかけが回ってきた。いかにも陽気で歌が好きなイタリア人らしい取り組みだ。

「でもすぐには行動できませんでした。ニュース等でアジア人に対する目が厳しくなっていることは見聞きしていたので、私が歌ったら卵とか飛んでくるんじゃないかって…」

しかしその翌日の夜6時、窓の外から原さんの耳に歌声が飛び込んできた。

「それまで全く知らなかったのですが、すぐ近所にプロのオペラ歌手の女性が住んでいたんです。イタリア在住歴の長い友人に聞いてみたら、なんとその友人の知り合いだということが判明して。すぐさまその女性をFacebookでフォローしました」

そして原さんの心境にも変化が訪れる。

「私も歌おう、と思いました。どんな反応が返ってくるかすごく怖かったのですが、前の日に聴いた彼女の歌声に背中を押されたような気がします」

夜6時、勇気を振り絞ってバルコニーに出て歌を歌った原さん。すると、なんとその近所のオペラ歌手の女性からFacebookを通じてメッセージが届き、バルコニー越しにデュエットをすることが決まったのだ。

「すごく驚きましたし、興奮しました。メッセージをやり取りする中でも、彼女が私にとても暖かい目を向けてくださっているのがわかって、本当に嬉しかった。翌日のデュエットも無事成功して、聴いてくれた近所の方々からは拍手もいただけて…。こうやって喜んでくれる人がいるんだってことが、私の希望になったんです」

この『奇跡のデュエット』の後、原さんはインターネット上で自らの歌声を配信し始めた。

「私にできることは音楽しかないと思っているんです。でも音楽は必ずしも生活に必要なものではないから、今の自分には何もできないと思っていました。でもあのデュエットを経験したことで、少しでも楽しんでくれる人がいるなら歌おうと思うようになったんです」

このような活動は、原さん自身にも良い影響を与えてくれているという。

「歌う曲を選ぶために音楽を聴いている時『きれいな音だな、いい曲だな』って、私自身がとても癒されるんです。音楽に触れている時って現実から切り離されるので、曲を選んでいる時、そして実際に歌っている時、その時だけは日常の不安を忘れられる。だからとても幸せな時間を過ごすことができています」

音楽で人と繋がる。音楽で誰かを癒し、自分も救われる。この厳しい状況にありながら、原さんの日々には、音楽による光が差し込んでいるようだ。


音楽と共に高みを目指し歩み続ける

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5月に入り、イタリアでは少しずつ外出もできるようになってきたという。ただ、オンラインでの受講が続く見通しに対し「この状況でも先生から受け取れることは全て吸収できるように臨みたい」と話す原さん。休校措置が明けたら音楽院で一緒に学んでいる人たちとたくさん交流したり、演奏会を頑張ったりすることを楽しみにレッスンに励んでいるという。

欧州の歌劇場の専属歌手には年齢制限が設けられていることも多く、現在31歳の原さんには現実的な話ではない。だが、今後の展望については力強くこう続けた。

「まずは日本へ戻り、事務所に所属して音楽活動をしていきたいと考えています。演奏会にもたくさん出たいし、大きなホールで歌えるようになりたい。そして、海外の歌劇団の出張公演に呼んでいただけるような歌い手にもなりたいです。声楽の世界では『日本やアジアの歌手は良くない』とずっと言われてきているのですが、今はどんどんレベルが上がってきている。それをもっと知ってほしいし、私自身もそう評価してもらえるように頑張っていくつもり。オペラ歌手として初めてNHK紅白歌合戦への出場を果たした故・佐藤しのぶさんや、日本を代表するオペラ歌手として現在も注目を浴び続けている森麻季さんが目標です」

加えてもう一人、憧れてやまない歌手がいるという。

「モンセラート・カバリエという世界的なソプラノ歌手がいたのですが、彼女も長い下積みの上に開花した人だったんです。彼女の家は貧しく、歌手として働きながら別の仕事もして家計を支えていた家族思いの人だったそうです。歌手としても一人の人間としても本当に尊敬に値する人で、私も彼女のようになりたいと思って頑張っています」

将来に大きな希望を持って進み続ける原さん。最後にその原動力について聞いてみた。

「情熱、でしょうね。音楽が本当に大好きですし、その良さをたくさんの人に伝えていきたいんです。音楽の世界ってどれだけ追及してもしきれないんです。技術的にもそうですし、まだまだ埋もれている名曲がたくさんあるという意味でもそうです。歌手として音楽を極めていきたいし、音楽の素晴らしさや、日本だとあまり取り上げられないような隠れた名曲をたくさんの人に伝えていきたいなと思っています」

ネガティブな体験の中にも光を見出し、音楽への思いを胸に希望を持ち続ける原さん。多くの人に彼女の声が届く未来がきっと来る。そう感じたインタビューだった。



原あいら

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愛知県名古屋市生まれのイタリア在住ソプラノ歌手、声楽家。国立音楽大学音楽学部、洗足学園音楽大学大学院、鹿児島国際大学大学院を経て、イタリア国立マントヴァ音楽院大学院オペラ科に在学中。2020年イタリア、ドイツにて《Soli Deo Gloria》のソプラノソリストに抜擢される(ドイツ公演は新型コロナウイルスの影響により中止)。音楽の喜びや奥深さを多くの人に伝えていくため日々レッスンに励んでいる。音楽プラットフォーム「サウンドクラウド」、Twitter、YouTubeにて歌声を配信中。

<関連サイト>
・公式HP
・Twitter
・soundcloud
・公式Youtubeチャンネル

インタビュアー
仲村きなこ

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山形生まれ、山形育ちの農家の娘。実家で4世代暮らし中。農園を手伝いながら3男児の子育てに奮闘している。学生時代は進路選択で迷走し、就職後は適応障害を発症して退職。生き方に人一倍悩んだ経験から、地方の学生に多様な生き方を届けるべく「ナナメさん」のインタビュー記事を発信している。クラシック音楽ファン歴25年。

<関連サイト>
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