自分が世界を見つめるための映画/ 『灰とダイヤモンド』
皆様こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。
私は元気にやっております、と言いたいところなのですが、ここ数日はやや風邪気味です。というのも、こちらロンドンは2, 3週間前まで27度ほどあった気温がここ数日で最低気温6度まで急降下しており、風邪を授かるのは不可抗力でした。
ところで私は先月末、「ロンドン最強の映画館」という呼び声の高いPrince Charles Cinemaという映画館に行ってきました。渡英直後からずっと訪れたかったのですが、しばらくは紀子三部作の杉村春子ぐらい忙しなく生きていたのでなかなか願い叶わず…。
そんな中、私にとってとても大切な作品が上映されることを発見。アンジェイ・ワイダの1958年の作品、『灰とダイヤモンド』です。
ゴミ山の上で天を見上げ、どこか笑っているように悶え苦しむチブルスキーの姿に衝撃を受け、大学の図書館でこの映画のDVDを初めて借りたあの日から、『灰とダイヤモンド』は日常のふとした瞬間にいつも思い出す、私にとって特別な作品です。なので、これは見逃す訳にいかない、と仕事の休みを取って上映会に行って参りました。
ちなみに、こちらが当日の上映スケジュール。
12:30 パルプ・フィクション(クエンティン・タランティーノ/ 1994)
12:45 台北ストーリー(エドワード・ヤン/ 1985)
15:20 ヴェルクマイスター・ハーモニー(タル・ベーラ/ 2000)
15:45 花様年華(ウォン・カーウァイ/ 2000)
18:05 灰とダイヤモンド(アンジェイ・ワイダ/ 1958)
以下略
さすがはロンドンイチの映画館。強い、眩しい…。映画のエレクトリカル・パレードですね。目が眩みそう。
ということで今回は、忙しなく生きていた私を久しぶりに映画館に連れ戻してくれた作品、いつも私の心のどこかで息をしている作品、『灰とダイヤモンド』について綴りたいと思います。
『灰とダイヤモンド』は、アンジェイ・ワイダが監督した1958年公開のポーランド映画で、第二次世界大戦においてドイツ軍が降伏した1945年5月8日のポーランドを舞台に、労働党員の暗殺依頼を受けた青年マチェクの1日を描いた作品です。
ズビグニエフ・チブルスキー演じるマチェクがゴミ山の上で悶え死んで行く様は、スチールとしても最も引用されている象徴的なシーンですが、やはり私も、このラストシーンに骨の髄を抜かれてしまった一人です。
『世代』(1955)、『地下水道』(1957)、そして本作をワイダの「抵抗三部作」と呼びます。タイトル『灰とダイヤモンド』は、原題『Popiół i diament』からの直訳ですが、3つの作品を通じて灰の中に生きるダイヤモンドを描いてきたワイダは、このシーンを持ってしてそれらを締めくくりました。
本作から少し枚挙してみると、逆さまに吊るされたイエスや射殺後の花火、真っ白のシーツの血といった様に対位法的に物語る傾向の強いワイダですが、この手法が彼の作品に鮮烈なニヒリズムを与えていると感じています。
愛し合うマチェクとクリスティーナが嵐から逃れるために訪れた教会では、信ずるべき神が逆さまになっています。マチェクが誤って別人を殺したとき、祝辞のように次々と花火が上がります。翌朝、発砲を受けたマチェクの血が塗りたぐられるのは、清廉潔白な顔をした無数のシーツです。
1926年にポーランドに生まれたワイダの青年時代は、無論、戦禍に葬られました。大戦中は、「抵抗三部作」の主人公たちと同じように対独レジスタンス運動に参加していたということから、作品の多くが彼の実体験から語られていることが分かります。
対局する二つの事象を同時にフレームに収めることで、強者や弱者、美しさや醜さ、正しさや過ちといった万事に虚無を見出し、「真」という存在を否定するニヒリズムの姿勢をみせるワイダの作品。
確かニーチェはどこかで、「本質は肉体を始点としているため、肉体を信じることは精神を信じることよりも遥かに強固な根拠を持っている。」という様なことを言っていました。
戦争を主題としたワイダのフィルモグラフィーは、世界を変えようと奮闘する「社会派」映画とされるのでしょう。確かに、彼の作品には世界を動かすほどの強さがあります。しかし私には、ワイダは「映画」という「肉体」を通じて自身の所在を見つめようとしていただけの様に感じます。
暗い地下水道から地上に這い上がったマチェクの目が、光を受け入れることが出来なくなってしまった様に、青年期の全てを戦時に過ごしたワイダは、不条理で救いようの無い世界に一抹の希望も抱けなかった。だから彼は、自己の救済のために「映画=肉体」を眼差し、いつの日か世界に回帰できること仰いだのでは無いでしょうか。
アンジェイ・ワイダはアンジェイ・ワイダのために映画を作っていた様に思います。私は、誰か一人のために作られた個人的な映画に、寧ろ真摯さを見出し魅了されてしまいます。
いかがだったでしょうか。
久しぶりに文章を綴ってみると、なかなか思う様に言葉が出て来ず苦戦してしまいました。やはり、定期的に文章に触れないといけませんね。
大変拙文でしたが、最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、私もあなたの壊れたヒールを直してあげたいぐらい嬉しいです。
ありがとうございました。