見出し画像

津峯山から、阿南の大部分は見えない

 一昔前の阿南のシンボル写真といえば、津乃峰の「津峯山」山頂からの景色が多用されました。

 橘・汐谷山の「たちばな観音」からの景色も、同様の存在と言えるでしょう。

 今でこそ「光のドーム」などLED関係の事物の写真が多いですが、今でも阿南市を紹介する資料では、津峯山から紀伊水道に向いた見能林・富岡の景色が使われることが散見されます。

 しかし、津峯山 山頂からは、東側の海側しか見えません。西側の長生町方面は眺望できない。ほとんど沿岸部の一部しか見えません。(マップのうち微妙なエリアは、灰色にしております)

 よくよく考えると、そこから見えるのは阿南市全体のごく一部でしかありません。市域の半分にも満たず、市を一望するスポットとはいえない。実際は、見能林・富岡・橘のローカルなスポットでしかないのです。

 それ以外の内陸部のほうが、阿南市域は広いのです。津峯山の山頂から見えないエリアの方が広い。阿南市で見晴らしの良い山頂、および神社の存在は津峯山に限らない。

 津峯山をことさら美化したり、市全体の象徴扱いすることは、内陸部をないがしろにしています。

 ですから、津峯山をもってして「阿南を一望できる」などと表現することは、慎重になってほしい。

違和感を覚える表現の一例

 昭和時代の阿南は、これら沿岸地区の工業群、すなわち辰巳、豊益、大潟、橘、発電所が阿南市を支え、それらを前提にした富岡から見能林、橘の一帯のマチのみしか見渡せないスポットであっても、阿南の象徴がごとく扱われることは、全体から黙認されていたのでしょう。

 しかし現代の日亜化学、LED、光産業、それは内陸部の産業です。内陸が大黒柱になった現代。もはや、内陸部をないがしろにすることは許されません。沿岸部のマチが見渡せるスポット という意義に価値を見いだすのは、もう難しい

音坊山(新野町)からの眺望。中央に日亜化学 発祥地。

 現代で、単純に眺望かつ大黒柱を顕彰する意義でみるなら、新野町の「音坊山」を整備するほうが、この市の象徴としては相応しい。日亜化学発祥地、それを産んだ新野のマチが眺望でき、すぐ近くの四国遍路ルートは「竹林とスダチ香るみち」とされ、市の別の象徴 竹産業とも親和性が高い。

「音坊山」近くの四国遍路ルート

 さらに言えば津峯山の眼下の沿岸部工業群は、地元発の中小産業も存在するが、大きいものはすべてそこ以外や県外からの誘致企業だ。それに比して「音坊山」などは、地元発で地元に根を張っている産業を顕彰する点からも重みのある眺望スポットだ。

 設置者目線で何を見せたいかではなく、観光客目線でその場所に行けばどう感動できるかだ。観光客にとって訪問意義があるのか。その眺望に意味はあるのか。それは本当に市内でベストな所なのか。津峯山びいき は、たんに富岡からみて身近だから、などと不公正な動機が介入していないのか

 市の象徴のような顔 がまかり通ってきた津峯山。こうした昭和の阿南のおかしな常識を撤廃していかなければなりません。

 少なくとも言えることは、これまで ”弱者” だった内陸部に阿南の中心が移れば、全地区が公平な成長の機会が与えられる阿南市づくりができる可能性は大きいだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?