ドナルド・トランプのTwitter

一昨日、講義をしていて、ふと気付いたこと。

わたしは2年前から、とある関西の大学で、教鞭をとっています。
一コマ90分で年間30回。専任になった今年はコマ数もそれなりにあるので、結構ハード。一度作った講義内容は、できるだけ毎年使いまわしたい。

ということもあって、一昨日の講義は、2年前に作ったコンテンツをほぼそのまま使って話をしました。

今回の講義のポイントは、「メディアと権力」。

とは言っても、特に小難しい話ではなくて、

「メディアの影響力は極めて大きいので、権力者が上手に使えば、多大な影響力を発揮する。だから、発信側(権力者)も、受信側(市民:市井の民)も、それを意識して向かい合う必要がある」

といった、よくある話をしたまで。

けれど今回、話をしながら、ふと、昨年とは違うイメージが頭をよぎったのです。

2年前に作ったこの資料のある部分には、ヒトラー、キング牧師、そしてトランプ元大統領の3人について、ケースが紹介されています。
個別の話はさておき、トランプについては、有名なTwitterのアカウントのキャプチャーを見せながら。

曰く、

いわゆる「既存のメディア」をすっ飛ばし、Twitterという時代の武器を片手に、8,000万人の有権者に、毎日毎日数十回、ダイレクトにメッセージする。

これは、すごいことなのよ。

でも、中身が問題。フェイクかファクトかの確認もないまま、国民を扇動するのは、さすがにいかがなものか。

だから、Twitterに、アカウントの永久凍結をくらった。

てな感じ。

もちろん、トーンとしては、「そりゃあかんだろう」という展開。
だから、受け手のリテラシーが大事なのよ、と、講義は続く。

でも、今年は話をしながら、ふと、違和感が浮かんだんです。

トランプのこの行為、本当にまずいのかしらん?

そりゃ、ウソはまずいですよ。国民を分断するような扇動もまずい。でも、有権者にダイレクトにメッセージすることは、果たして本当にまずいことなのか。

当然、民主党や左派メディアをはじめとした反対派からはボコボコに叩かれる。でもやめない。俺はこう思うんだと、ポリシーに則って、メッセージを発信し続ける。だって、みんな、そんな俺を選んだんじゃないのさ。

相当に胆力があるか、稀代の戦略家か、鈍感か、アホでないと、こんなことはできません。

これ、ある意味すごいことですよね。

何がすごいって、トランプが、じゃなく、それを可能にしたメディアや社会が。

「権力者やリーダー」に関する、上下左右、あまたの情報が、世の中に流通するという事実。
しかも今回は、メディアの編集というフィルターにかからない、ナマの言葉もそこにある。忖度なし、思惑なし。

だとすると、あとは受け手の判断力。
少なくとも判断の材料は、ある程度、そこに揃っているわけだから。

それ、やっぱりすごいわ。

トランプの場合、中身が問題とされたので、アカウントが凍結されちゃいましたが(ここは別途話をしたいけど、筋から外れるので今日は割愛)、それこそ、民主主義の根幹。

翻って。

別に、バイデンさんの話じゃありません。(ここもいろいろあるけれど)

翻るのは、日本。

わたし達が今、目にしている状況、どうなんでしょう。

コロナ、オリンピック、憲法改正、汚染水。
命に関わる喫緊の課題が山積しているのに、わたし達が判断する情報があまりにもなさすぎる。

どこを見ても、同じようなニュース。
何を見ても、判断材料にはなりそうもない、ただ現象を伝える情報ばかり。

変異株に気をつけなくちゃならないことなんて、もう、みんな知ってます。陽性者が増えているのだって、今さらあたりまえ。自粛、三密回避だって、もうずっとやってます。結局、ワクチン? でも、そのワクチンだって、やり方はバラバラで、いったいどうしていいのかわからないし、そもそもどの程度健康リスクを考慮すべきなのかさえ、ちっともわからない。

で、どうすればいいの?
これからどうなるの?
私たちは何をしたらいいの?
選択肢は?

その辺りのツッコミが足りないから、市民は困り、政府は甘える。

もちろん、総理にTwitterをやれ、と言っているわけじゃありません。たぶん、やってもつまらない、というか、役に立たない。
そもそも彼ら、コミュニケーションのチカラがわかってないのでは、と、わたしは思うので。

そう。

言うまでもなく、そこを実現するのがメディアなんだと、わたしは(というか”みんな”は既に)思ってます。

リーダーのナマ声に近いリアルな事実情報。
上下左右からの視点。
そして、メディア自身の見解。

そうしたことを、考えて、調べて、知らせてほしい。

え? メディアはニュートラルであるべき。特定の方向性を持ってリードすべきではない?

よく聞くフレーズです。
だから、各社、情報は当たり障りがなくなる。

でもそれ、本当ですか?

ニュートラルというと、公平とか、中立とか、言われます。
この二つの言葉、わたしは意味が違うと思っています。でも、メディアにとって大事な根幹は一緒。

公平とは、右と左、どちらの情報も開示して、判断の材料を提供すること。
中立とは、右と左、理解した上で、どちらにも与しないということ。

いずれにしても、右と左をしっかり見据えることは大前提。そしてその情報こそ、しっかり、恐れず、私たちに提供してほしい。

みなさんはどう思いますか?

・・・なんか今回も、どこにでもあるグチになってしまいました。

ところで先日、宝島社の企業広告が、新聞紙面を賑わせていましたよね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2966b114e99fff619614da5e39d6cde7cbe03d4

これ、ご覧になった方も多いと思います。
賛否両論はさておき、これを見てわたしは思ったんです。

広告ならできるのか。

そのこころは、

本紙でやらないのはなぜ?

です。

意見は、外部の有識者や、広告主にまかせる。メディアはそれを紹介するハコである。

でもそれでは、プラットフォーマーとなんら変わりがない。

もちろん、報道やジャーナリズムの難しさはわかります。新聞は、ある程度頑張っているかもしれない(読者が減っているのが、たまにキズ?)。

でもそんな中、わたしの最近の率直なイメージは、目をつむって崖に向かって歩いている、そんな感じがしてならないんです。

もっと情報を。
もっと有意義な情報を。

つむった目を開かせてください。

え、お前が自分で調べろ?
もちろん、わたしももっと勉強しなきゃ、ダメですけどね。



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