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「NARA-Xの開拓者」大井千鶴が切り拓いた道(後編:山あり谷ありの競技人生と未来のチーム)【インタビュー】

 今年3/14、NARA-Xアスリーツ(以下NARA-X)所属の女子マラソン選手・大井千鶴が引退を発表した。ラストマラソンとなった3月のふくい桜マラソンでは2位表彰台を獲得。今週の5/31から開催される関西実業団選手権のトラック種目出場を最後に競技生活に終止符を打つ。全国的にも珍しい実業団型クラブチームNARA-Xの所属選手第一号にして、地元・奈良マラソンで3度の2位や北海道マラソン7位入賞などチームを引っ張るエースとして結果を残してきた彼女は、ラストランを前に何を思うのか―。

後編では、大歳監督と二人三脚で歩んだ競技生活と、これからのNARA-Xアスリーツについての想いを語ってもらった。

大歳監督との出会いとNARA-X加入

NARA-Xアスリーツの歩みは、大井と大歳研悟監督の出会いから始まったと言っても過言ではない。2人が初めて出会ったのは、大井が同志社大学2年時の2014年初夏のこと。浪人などもあり2年半のブランクを経て2回生から陸上部へ入部を決めた大井に対し、当時同大のコーチを務めていた大歳監督は「死んだ魚のような眼をしていた。すぐやめるだろうなと思っていた」と振り返る。その後、それまで800mといった中距離が専門だった大井に、大歳監督は「中距離は向いてなさそう。3000mくらいにしては?」と助言。監督にとっては、少し否定的なニュアンスを含んだアドバイスだったが、大井はポジティブに捉えて、専門を3000m障害へと変更。決してドラマチックな出会いではなかったが、師弟が交わした最初の会話がその後の二人の運命を決定づけた。

「高校の時は長距離が大嫌いで、1500でも長いと思うくらい。そんなことを言われたのは初めてだったので、ポジティブにとってしまいました。最初はどんくささを発揮して、記録会で独走の最下位になるレベル。部の後輩にも『才能ないですね』と言われるくらいだった」

と大井は当時を振り返るが、その後は元来の負けず嫌いの性分がプラスに働き、結果がでなければ辞めようと背水の陣で挑んだ記録会で、目標タイムを初突破。ついには全日本インカレの標準記録まで手が届くまでに。並行して取り組んだ5000mでも結果がついてきたことで、実業団の合宿などにも招待されるようになってきた。ただしその時点では本人も実業団でやっていく意思はなく、普通に就職をしようと思っていたそうだが、そんな時に舞い込んだのが、NARA-Xアスリーツ立ち上げと、その最初の所属選手としてのオファーだった。まだ輪郭も見えない「NARA-X最初の選手」だったが、例えしんどい道であろうとも面白そうな方を選ぼうという心に従い、そのオファーを受け入れた。その後は、大学に籍を置きながらも奈良に移り住み、同じくNARA-X立ち上げに携わった大歳監督と共に二人三脚で準備。2017年9月からクラブは本格始動。他に類を見ない「スポンサー企業でフルタイム勤務しながら戦うクラブチーム所属選手」としての一歩を踏み出した。

小学生にも敗北…非難と重圧に潰される日々

華々しくスタートしたかのように見えるNARA-Xと大井の歩みだが、前途は多難だった。

「競技生活に軌道にのるまで、2年くらいは本当にしんどかった。アルバイトはしていたけど、社会人で働くのは比にならないくらい責任もあり、仕事で手一杯になった。心の余裕も体の余裕ない状態で、もちろん競技でも結果はでませんでした」

競技と仕事の両立に悩む一方、決して陸上先進県とは言えない奈良にクラブチームが出来たことで、周囲からは品定めするような視線を浴びせられ、結果を出さないといけないという重圧に晒された。一番最初の大きな挫折は、2018年1月の「都道府県対抗駅伝」。県陸上協会としても県外出身選手を受け入れるのは初めてで、バックアップ体制が一向に整わない中挑んだ大会では、区間で下から2番目に沈んだ。本格的なトラックシーズンがスタートしても、心と身体の歯車がかみ合わず、1500mでは何と小学生にも負ける結果に。大会後には、チームを預かる大歳監督だけでなく、大井自身の耳にも入るくらい周りからの非難が相次いだ。

「当時はだいぶしんどくて、堪えた。奈良で走るのが怖くなった」。

周りからの重圧に圧し潰されそうな大井を守るため、大歳監督は人目を気にしなくていい近畿圏外の大会や記録会を意図的に選んで参加していく。初めて挑んだ奈良マラソンでは30キロ地点で大失速するなど結果が振るわない日々が続いた。少しずつ潮目が変わり始めたのが、2019年のマラソンシーズン。土山マラソンを体調不良で棄権後、職場の上司から「仕事も手を抜いてるやつは陸上でも結果を出せない」と言われたことをきっかけに、心を入れ替え、万全の準備をして迎えた2度目の奈良マラソンで3位フィニッシュ。チーム結成以来、初めてまともにフルマラソンを完走できた事に、2人は涙で喜び合った。

「そこで初めてマラソンって楽しいな、自分にあっているのかなと思いました」

その後はメンタルトレーナーとの出会いや後輩の加入などもあり、精神的に成長。「練習量ではどうやっても実業団所属選手に敵わない状況の中で、いかに工夫しながら個人として成長していくか」というNARA-Xの根底に流れるアイデンティティはそこから徐々に育まれていった。

チームとしての成長とこれからについて

2022年には3選手が加入してチームは大所帯となり、大井はキャプテンに就任。個人成績の追求だけではなく、チームの要・エースとしての役目を自然と担っていくことになる。

「まだまだチームとして未熟な中で来てくれた子たちなんで、自分はリーダーという器ではないんですけど、チームとしてやっていて良かったという風にしたい。ポジティブに競技に取り組める空気感をつくろうとは心がけていました」

実業団から移籍してきた新加入選手たちの活躍もあり、NARA-Xはチームとして徐々に県内外で存在感を増していき、昨年の奈良マラソンでは、チームの応援団が沿道を埋めるまでになった。大井と大歳監督、2人で撒いた種は、徐々に芽を出し、いろんな所で花を咲かせつつある。この一風変わった競技人生に悔いはなかったのだろうか。

「いつわりなくNARA-Xでよかったと言い切れる。フルで働いた事で、お金をいただくことの重要度や支えてもらう事の大切さが分かったし、会社のみなさんからは本当に応援してもらえた。形態に慣れるまで時間がかかったし、きつかった部分の方が圧倒的に多いけど、その上で頭を使いながら時間の使い方やリカバリー方法などを考えてきたんで、その過程こそが自分を成長させてくれたと思います。人並みに自炊できるようになりました(笑)」

開拓者として走り切った7年間。後に続く選手たちに対して残した功績は大きい。大歳監督は「大井がいたから今のNARA-Xがある。今、スカウトで色んな選手に声をかけているが、大井の走りに憧れてNARA-Xに来たいと言ってくれている選手もいる。後にちゃんと繋いでくれたなと思う。駅伝の一区は流れを作る重要な区間だけど、そういう所を本当にしっかり作ってくれた」と、目を細める。

大井自身が山あり谷ありの競技生活を経て、作り上げてきたチームだからこそ、あとを託す後輩たちへの想いは強い。

「後輩たちはみんないい子で、競技も仕事も精いっぱい頑張ってくれている子ばかりなので、ちょっとでもいい環境で競技が出来るようになって欲しいな、と。7年続いたチームが今後も上手いこと、続いていってほしいと思いますね」

今週末には、NARA-X所属選手として走る最後のレース「関西実業団陸上競技選手権」(5/31~6/2ヤンマースタジアム長居)を迎える。チームの為、共に歩んだ恩師の為、自分を受け入れてくれた奈良の為、そして何より自身の夢の為に、まっさらな道を走ってきた大井。彼女の後ろに続く確かな軌跡は、きっと後輩たちの心強い道標となるはずだ。

⇓ラストレースの詳しい情報はNARA-X公式ポストをご確認ください。

〈プロフィール〉
大井 千鶴(おおい ちづる)
石川県出身。金沢泉丘高校を経て、同志社大学。2017年に「NARA-X アスリーツ」の一期生としてチームに加入。主な戦績は、2020~23奈良マラソン2位、2022北海道マラソン7位、2023金沢マラソン2位、など。

写真提供:NARA-Xアスリーツ

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