【今週のリフレクション】父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話(ヤニス・バルファキス氏)

今週は、ヤニス・バルファキス著「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話」を振り返ります。ざっくり3点で要約すると・・

1.農耕から「余剰」が生まれ、文字が生まれ、債務・通貨が生まれ、信頼のための国家が繋がった。これらが複雑に絡み合うのが経済。地理的に農耕の広まりやすい東西に伸びたユーラシア大陸で発展。余剰の集中が更なる余剰を生み、格差が生まれた。市場のある社会において、余剰の偏り=支配者の権威を安定させたのは宗教だった。

2.産業革命による大転換で、生産の三要素=生産手段・土地・人が商品になり、「経験価値」より「交換価値」が優位の市場社会になった。借金ありきのビジネスモデルとなり、お金が手段から目的になり、貧富の差はますます広がった。市場社会では銀行はどこからともなくお金を生み出し、金融危機→不況を生み出す。中央銀行の公的債務による政治介入でしか再生できない。

3.権力者は全てを商品化することで解決しようとするが、結局、終わりの予感からくる自分を守りたいという短期の衝動(=先読み)が市場を混乱させ、解決は叶わない。「民主化」により、生み出す富を全ての人に分配しないと解決しない。本物の幸福が味わえる可能性がある人生とは、経済学は公式のある神学であり、哲学に近い。

経済学には詳しくないのですが、人間をどう見るのかについて考えさせられました。人間を合理的な生き物と見るのか、非合理的な生き物として見るのか。合理的な生き物として見るなら、介入しなくても自然と良い方向に進むので、過度な干渉は不要です。しかし、非合理的な生き物としてみるなら、何らかの補助線を出さないと良い方向には進みません。

これまでがどうだったのかはわかりませんが、今後は人間は非合理的な側面が強くなるように感じています。昨今の技術進歩を受けて、根源的な欲求は徐々に改善されていくと思います。そうすると、モノではなくコトを求める感情報酬の要素が強まり、個人の価値観(信念)の多様化が進むのではないでしょうか?

そうなると、人は自分の内面を重視するようになり、行動も多様化してきます。これ自体はイノベーションにつながる等の良い影響が大きいと思いますが、コントロールが効かない分、想定外のアクシデントが起こるリスクも内包しています。

今までは、リスクに対する補助線として、法律やガバナンスといった仕組みの整備で担保してきましたが、多様化が進みすぎてそろそろ限界に近いような印象を持っています。では、今後は何が補助線になり得るのか?私は「倫理観」が問われているのだと思います。

誰も知らないけどお天道様は見ている。日本はどの国よりも倫理観が高い国だと信じています。仕組みではなく倫理観を見直し、自信を持って感情に従った行動を促進し(邪魔せず)、経済を発展させる岐路に立っているように感じます。本にあった「経済学は公式のある神学であり、哲学に近い」という言葉を、私なりに解釈して誤読してみました。

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