【手品】ACAANについての雑記
※注意 この記事は手品師向けです。
ACAANの方法論ではなく、演出について思うことを書き残す。
テーマ:ACAANの演出の考察
【はじめに】
ACAANについては、マジシャンがプロットや方法論に惚れ込みすぎてしまうが故に、「一般人にも十分にこの不思議さが伝わるに違いない」と勘違いしやすい。
ここでマジシャンは冷静になる必要がある。果たしてACAANは、一般人にとって魅力的なプロットだろうか?
「一般人にとって魅力的なプロット」とは、凝った味付けをせずともお客さんを惹きつける手品という意味とする。
この意味で、ライジングカードは魅力的と言えるだろう。インビジブルデック(ウルトラメンタルデック)はその最たるものだ。シカゴオープナーやスポンジボールなど、今でも多く演じられる古典はその手品自体に人を惹きつけるパワーがあるものが多い。
こういった名作と比べると、ACAANはかなり「捻くれ者」である。
もちろん、前者の名作もウケるためには相応の準備が必要である。十分に練習して、演者がどのような形で現象を起こしたか?を的確に、楽しくプレゼンしたとき、はじめてトリックがエンタメになる。
ACAANはその準備が数段難しいのである。
経験上、エニーナンバーだけ(カードは予め演者が決める)でもきわめて効果的だ。僕が12才の時、(近隣のいくつかの図書館の手品本を全て読んで、この世のほとんどの手品の方法論を理解したと思い込んでいた時である)完璧なエニーナンバーを見て、腰を抜かした。
演者はメモ帳に予言を書く。僕が1から50の間で好きな数字を言う。はっきり覚えている。25と言った。
箱からデックを取り出す。僕がトップから25枚配る。25枚目がメモ帳の予言と一致する。
当時テンヨーで販売していた「スパークルアイデック」である。横浜高島屋のディーラーに見せてもらい、母親に懇願して買ってもらった。
今考えるとイノセントな状態であの衝撃を体験できたのは幸運だった。トリックを知った時の、その巧妙さに感心したのもいい思い出だ。(その後、本家フォーサイトのスパークルアイⅡを手に入れた時、さらに感動することになるのは別の話)
エニーナンバーのトリックでたまに議論になるのが、「トランプを配らずに、1から50の数字を予言すればよいのではないか?」という論説だ。
少なくとも観客にそう思われたら、失敗である。
しかし、あの衝撃を体験した僕は確信を持って言える。重要なのは「その現象が達成されるための数学的・論理的難しさ」ではない。
トランプとメモ帳とペンという、手品の道具として違和感のない日用品が使われること。その組み合わせに幾分かのマジカル感があること。何よりそのプロセスに一切の疑う余地がないこと。カードを配りながら「もしかして…」と嫌な予感がしたら、その通りに現象が起きること。
サスペンスとして完璧だったのである。
仮にこの時、スパークルアイではなく、ACAANを見せられていたとして、つまり、メモ帳に自分で好きなトランプを書いたとして、12才の僕はそれ以上に驚いただろうか?
現実的には、ACAANを実現させるのはスパークルアイよりも難しい。マジシャン側で何かしらの無理をして、お客さんがそのプロセスに少しでも違和感を持ったら、スパークルアイと比べてサスペンスの完成度は劣ってしまう。
仮に完璧なACAANを見せられたとして、どうだろうか?
このシチュエーションに最も近いのがこの動画だろう。12歳の僕はこれを見せられても、あそこまで喜ばなかっただろう。
「お客さんが任意に選べる選択肢やその回数が多いほど不思議」というのは、マジシャンの思い込みだ。
52分の1でトランプが当たるよりも、血液型が当たるほうが不思議に感じることもある。
「演者がどのようにしてその現象を起こしたのか?」という観点もまた重要であり、件の動画を見るとよく実感できる。
「デックに一切触らない」ことはフェアさの強調になるが、あまりに演者が関与しないとマジック感がない。
それでは、お客さんが不思議と感じる選択肢や選択回数、強調すべきランダムさやフェアさはどう設定すべきか?
僕自身がこの問題に気づいたのは実際にスパークルアイを演じたときである。
「身体に電流が突き抜けるような衝撃を体験させてくれたスパークルアイを見せれば色んな人が驚くに違いない」と確信していたが、実際やってみると、そこまでウケない。
マジシャンにとってはきわめて不思議だが、一般の人からするとシカゴオープナーやトライアンフの方が凄いと感じるようだと知る。
中学生の僕は、スパークルアイを「マジシャン向けのトリック」のカテゴリーに分類し、一般の人には見せなくなった。
大学のマジックサークルに入会したときすぐ、先輩にマジックを自由に披露してアドバイスを貰うという時間があった。
スパークルアイを演じるのはここしかない!
ところが先輩の反応
「ふーん」
「…」
先輩たちはスパークルアイは知らず、タネが追われたわけでもなかった。ところがピンとこない。タネがわからないので、核心をついたアドバイスをしづらく、困らせるだけになった。
たぶん、件のACAANの動画をみた時の気分と同じような感じだろう。
ところが後日、大学OBの大先輩の手品を見る機会があった。その先輩がなんとスパークルアイを演じた。しかも、フォーサイト本家ではなく、僕と同じテンヨー製。演じ方も説明書通り。
僕のスパークルアイを一度見たはずの先輩たちが、本気で驚いて大騒ぎした。
「何をやるか」ではなく「誰がやるか」が重要なのだ。
普通の18才の青年が演じるのか?
何度も現場で手品を見せた経験があり、風格があり、古今東西の手品の知見が深く、慕われている大先輩が演じるのか?
全く同じトリックでも、誰が演じるかで受け取られ方が大きく変わるのである。
その人が起こせそうか?という意味での不思議さレベル、現象の「身の丈」があるように思える。
中学生の僕は、スパークルアイよりもコインを握ってるのは右手か左手か?を当てた方がウケたのかもしれない。
テンヨーのディーラーや大先輩にはスパークルアイがちょうどあってたのかもしれない。
これまで挙げた点を踏まえて、ACAANを演じる場合の演出プランや見せ方のアイデアを色々と考えてみる。
前置きだけでかなり長くなったので、続きは後日。
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