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無知ゆえに罪

高校生になるまで、わたしは世の理すべてを理解し得ると考えていた。わたしに理解し得ないものは消えればいいとまでは思っていないが、だいたいそんなことを考えていた。

けれども高校に入って、自分よりもよっぽど物知りな人をみつけた。その子が完全無欠な物知りに見えて、わたしは非常に絶望した。わたしこそが至上であると思っていたのに、ほんとうはそうではなかったらしい。
わたしは凡夫の中で秀でているにすぎなかった。(比較対象を凡夫にかえて、「秀でている」と言ってしまうところが愛らしい)

その頃から自分が生きている意味を強く考えるようになった。賢いわたしに生きている意味があったのであって、すっとこどっこいなわたしには意味はない。わたしはなんで自分が生きているのかが本当にわからなかった。

またその頃にわたしは、「自分の肉体は、わたしの脳を運ぶためのケースに過ぎない」と思うようになった。わたしの肉体は取り替え可能なスマホケースでしかない。それである必要がないし、それであってもかまわないもの。その程度だと思っていた。
いま思えばこれは、わたしではなくわたしの肉体に意味がないと考えることで、自分の意味を守っていたのだと思う。わたしの肉体に罪を被ってもらっていた。


脳みそ運搬ケースとしての18年を地方都市で過ごしたのち、東京に住んでみた。極東の黒真珠・東京だからというわけではなく、人口の集積地ゆえにそこには多様な価値観や来歴があった。わたしのことを肯定する人も否定する人もいた。
かつての友からは「いのちを燃やすように生きている」と評された浪人期であるが、実際にそうであったのだろう。
確定未来のない朧げな現在の中では、いのちでも灯さなければ足元すら見えなかったのだろう。そうして燃え尽きてしまった。

大学に落ちたことはベットの中で知った。そのときはちょっとばかし泣いたが、「そうとなればここにいる必要はなし。飛行機にとってどこか遠くにでも行ってやろう」と思い立ったが吉日、わたしは羽田空港行きのタクシーに乗り込んだ。ワクワクする気持ちで飛行機に乗り込んだ。目的地はかつて暮らした地方都市であった。結局は古巣へ戻るしかないのかと思ったが、これは郷愁の念からではなく金銭的問題からだといっておこう。

大学に落ちたことを親に知らせると、「頑張ったね、お疲れ」と言われスタージュエリーの限定モデルの時計をもらった。大学には落ちてみるものである。結局、他の大学には受かったのだから収支は時計の分だけプラスだった。

進学先の大学での生活はあまり楽しいとは言えなかった。明るい太陽のもとで今後の生活を見据えたわたしは、マンションの一室で眠ることに勤しんだ。

ふらふらと外出しては緑を見て「目にはさやかねど…」と呟く廃人であった。

そのあとは正直あまり覚えてない。いっぱい泣いたり、いっぱい逃げたり、眠ったりした覚えはあるが具体的にはなにをしていたのだろう。
竜巻に巻き込まれていた数年を過ごした。

このあとわたしは劇的にいい人となり、後年を過ごすわけだが、いい人の人生などありふれていて面白くないのでここでこの記録は終わる。

正直書くのがめんどうくさくなったのもある。みんなだってハラハラドキドキサスペンスフィクションが読みたいのであって、日記など読んだってアンネでなければどうしようもないでしょ?



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