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from the cradle to the grave

うちの猫がおそらく3歳になった。

家の庭で生まれた野良猫を捕まえてイエネコにしたので、正確な誕生日はわからない。けれど3歳であることは確実だ。

そんな猫が3歳になった。

動物医療の発展や栄養の改善により、イエネコの寿命は年々のびている。現在では、ゆうに20年は生きるという人までいる。

そう思えば3年などまだまだ序の口で、残りの17年をともにハッピーに生きようねと思える。



ヒトが産んだヒトの子は親より長生きするのが一般的である。ヒトにはそれぞれの事情もあるため必ずとは言えないが、たいていの場合は親が先に死ぬ。
だから親は子の死などまったく考えたことなどないんじゃないか。
すくすくと背が伸び、体が大きくなり、賢くなる我が子を見て喜びが満ち満ちていくように思う。
子が歳を重ねたからと言って「また1年だけ死にちかづいた」なんて思う親はいないだろう。

けれどネコはヒトより必ず早く死ぬ。
だから猫が歳を重ねれば、死の匂いも深まる。

うちの猫がもうすぐ死ぬとは思わない。
けれど今年も、1年だけ死にちかづいたと感じる。

無論、成長を喜ぶ気持ちもある。大きくなり、少し落ち着いた雰囲気を纏う猫見て頬を緩める。
撫でると猫は喜び、機嫌がいいとお腹を見せてくれる。
そんな猫を心底かわいいと思う。

ただしゲドはわたしより必ず早く死ぬ。
普段は知らんぷりをしていてもゲドを看取る瞬間は必ず来る。
冷たく、重くなったゲドを焼く日は必ず来る。


猫から離れられないわたしはどうにかして焼かずに保存する方法を探した。
そして個人から遺骸を引き取り、剥製にする業者を見つけた。実際にイエネコを剥製にしたものも見た。
目を閉じ丸くなっているそれは、生前もこのように眠っていたのだろうと想像するのに充分だった。

眠る剥製をクッションの上に置き眺めれば猫は死なないように思った。
けれど剥製になった猫は果たしてゲドなのだろうか。
内臓が抜かれ、毛の光沢はなくなり、冷たい。
それをわたしはゲドだと思い、撫でられるのだろうか。


結局、ゲドは焼くことにした。
来る日が来ればきっと焼けると思う。

小さき命を引き取り、猫として育てる。
2人で眠ったり、ご飯の要求をするゲドをうざったく思ったり、体を撫でたり。
そして死んだゲドを焼く。

このプロセスを狂気に陥らずに辿れるだろうか。
淵にてわたしを引き止めるのはきっと楽しい思い出だから、ゲドがいつか死ぬことは忘れて、たのしい生活を送りたい。

死が2人をわかつまでハッピーでいてほしい。

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