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turkish delight

雪国で生まれ育った者として、やはり冬とくれば雪
雪かきのため悴んだ手を炬燵の中で温めながらみかんを食べる情景が浮かぶ

雪が降った当初はとても気がはやるが、2月ごろにもなれば「雪かきしろって言われるのがだるいからもう降らないでいいよ」と思う


雪について忘れられない思い出がある
小学校低学年の頃、目が覚めると雪が高く積もっていた
わたしは防寒具を着込み、ぶかぶかの手袋をはめ、もこもこの靴下で着膨れした足を長靴の中に押し込んで、いってきますもろくに言わず庭に飛び出した


庭には銀世界があった
足を取られながら進めども、一面の雪がわたしの行手を阻む

ひとしきり雪遊びしたあとに、ふとわたしがはしゃぐ声以外何も聞こえないことに気がついた
しゃくしゃくという足音と遊び疲れた者の呼吸だけが聞こえて、他の人間の気配はしんとない

庭から家を覗き込むも母の姿はない
ふだんなら玄関でくつろぐ犬の姿もない
ただぬくぬくとした部屋だけがあった

不安になったわたしは「おかあさん!」と呼ばうも、声は雪に吸い込まれてしまう
さきほどまで楽しいおもちゃであった雪が急に恨めしい

怖くなって父がいるはずの事務所を覗く
そこに父の姿はない

「この世界からすべての人間が消えて、わたし1人きりになってしまったのではなかろうか?」とわたしは非常に不安になった
大人になった今からすれば「なわけない」と一蹴することしかできないような考えだが、幼いわたしは本気で雪によって世界が排斥されたと思い込んだ

わたし1人で残さないでよ!という気持ちで家の中に飛び込むと、「雪がついてるんだから、ジャンパーを脱いでから家に入りなさい」と母から言われた
そしてリビングには犬が寝そべっていた
わたしの普通の日常を一瞬にしてとり戻せた


このような記憶があるために、雪はわたしに恐ろしさを思い出させる
けれどもそれ以上に、わたし以外の全てが消えた銀世界はきれいだったことも忘れられない


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