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23歳になって、わたし

今のわたしにつながる自我が芽生え出したのはきっと15歳
挫折感からうつろな気持ちで廊下を歩いていた
挫折、羨望、憧れ、愛、嫉妬、憎悪、優越
これらの気持ちを抱えて、ゆっさゆっさと歩いていた
溢れんばかりの感情で息が苦しくなり、窒息しそうになりながら自身の活路を探していた

でも「まだ先になんかがある気がするから死ぬなら今じゃないかも」と思ってなんとなしに生き続けていた
そうこうするうちに足元には多くの出来損ないがいて、わたしがいて、わたしも出来損ないのひとつで、さらにわたしの上に人がいることがわかってきた
わたしはそこまで特別ではないと思うと、そんなに考え込まなくてもいい気がしてさらに生き続けた

当時のわたしはほんとうに苦しい時間を過ごしていて、「みんなが死ねばいいんだ」とよく泣いていたものだが、いまとなってはあの頃の自分の感性が羨ましい

身体中に生やした棘で身を守るだけに飽き足らず、縮こまることですべての困難をやり過ごそうとしていた
きっと今より盲目で、非論理的だった現実顧みずちゃんだったはずなのに、今よりもよっぽど感性が鋭かった

いまより豊かな読書経験をつみ、自身の感情を観測し、きっといまよりも面白い文章を書いていた

あの頃に読んでいたのと同じ作者の本を読んでも今のわたしには刺さらない
極彩色の文章に戸惑い、本を閉じてしまうこともある

いまのわたしは感性が鈍り、面白いものが見えず、面白いものが作れなくなっている

けれどきっと今の方が人間の感覚に近いのだと知っている
あの頃の感性は思春期ドーピングによって、触れば痛いほどに研ぎ澄まされ、自身が傷つくことの代償に豊かさをうみだしていたのだろう


あの頃に「この先にありそうな感じがする何か」がこれだと知れば死んでいただろうか
つまらない人生になってしまうと悩みの種を増やしてしまうだろうか

本当につまらない人生だと思うけど、きっとこれが人間の生活で、人間の感性で、人間の言葉

筵の中で縮こまっていた自分の豊かさを思い出して、今のわたしのぼんやりとした感じに安心し、失望する23歳のわたしは

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