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大人になるか、子供でいるか。


今日は半分愚痴で、半分葛藤。

真の歓迎会とのことで、会社で面倒見てくれてる人と2時間ほど飲んできた。

歓迎と同時に、自分の悪癖についての話も上がった。話が長いと思いきや、時たまストレートな物言いすぎて、基本的に面倒くさいか物議を醸してるらしい。

障害のせいにするのは、何の意味もないけど、これでもかなり矯正した。ただ、元々が酷すぎて、何も対策してないように見えるのはしょうがない。

どうしても話し切りたくなってしまう。
日記やメモを取ることで、軽減はされてるけど、まだまだなのが現状。

組織で生きるなら、改める必要があるのは知ってる。
それは分かってるけど、「そこまでしないと集団に属することって許されないのか」と悲しい気持ちにもなる。

だったら、なるべく一人で完結できる仕事をした方が良いようにも思うけど、生憎何もないのも現実。

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いつも思うけど、「なんで他の人はしょうがない」って言われて、僕はダメなんだろうか。

神や菩薩にでもなるしかないのか。
別に僕はそこを目指してはない。

もっと合わせた方が良いと思いつつも、すでに合わせてる自覚は強くて。
かなり自分をコントロールすることに力を使ってる。

何と言うか、結構疲れてるし、鬱に戻ることはないだろうけど、やっぱり人と関わらない方が良いのかも? と思う。

それが、世のため人のため自分のため。

けど、人間一人じゃ生きてけないし、そもそも誰かに支えられてここまで来ている。
返したい気持ちとは裏腹に、周りにストレスを与え続けている。

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暗い話はここまでにして、そろそろ現実的な話に移行しよう。

結果的に、邪魔もしたくないし、邪魔もされたくないのが本音。
自分が邪魔だと思う時、相手も僕を邪魔だと思っている。

積極的な姿勢として、無謀でも馬鹿でも、自分で食っていけるナニカを掴むしかない。

スキルというか、結果というか。
コミュニケーションではなく、生み出したもので社会と関わる方が良い。

そう感じた。

なんだかんだ、組織に守ってもらいたいし、不器用だから、自分でこなす事を避けてきた。
そういう自負はある。

これが逃げだと言われたら、僕は肯定する。
やっぱりお互い苦しいのは、誰も得しないからね。

失語症っぽくなって、会話を練習しても、そもそもコミュニケーションが苦手なのは変わらないらしい。僕も人間だ。

何かできるのか分からないけど、今は手当たり次第にチャレンジしてみるしかないと思ってる。
自分でなく、成果物でコミュニケーションが取れる方法を、見つける必要がある。

『言葉』に惹かれるし、推しているけれど。
どうやら会話に向いてないらしい。

分かっては居たけど、なんだか切ないよね。

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ケツに火がついたって感覚はないけど、もう自分のために必死で頑張ろうって気持ちにはなった。

心のどこかで自分が賢くて、うまくやっていけると思ってたんだろうな。
そんなことはない。
ただ、運が良かっただけだ。

運さんには感謝しないとね。
まだまだ一緒にいて欲しいと思ってる。

いつか書こうと思ってたんだけど、『言葉』を扱う仕事がしたかった。
言葉が好きだし、文字も好き。

けど、読書はそこそこぐらいの好きさ加減で、ただただ文字と言葉が僕の隣にあった。


だから、言葉を集約できる先を探そうと思う。
それは、アートや表現だけじゃない。
結果、言葉に戻ってくるかもしれない。

それでも、言葉を使わない社会との関わり方を模索していこうと思う。

今日はその記念日だ。
この思いを忘れないように。

いつでも、戻って来れるように。

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