見出し画像

考えないとできない人、考えなくてもできる人


今日は予定があって、いや、それは嘘。
ちょっとキツくて少しだけ、飲みに行く。
少しになるといいけど、、、

ということで、今日は久しぶりにしずかなインターネットから引用します。

かなり書き殴ってるけど、これが今のリアルということで。

一応リンクも。

**

今まで仕事をする中で、強く感じること。

考えないとできない人と、考えなくてもできる人の感覚は埋まることはない。

僕は圧倒的に前者だ。

個人的な感覚で言えば、大概の人が後者だ。

その原因になるのは、「普通」とか「一般的」などの社会通念があるかどうか、だと思う。

僕は今でこそ一般論の感覚に近しいものを持てていると思う。けれど、一般論は他人事だ。「確か、みんなはこういう時、こんな風に考えるんだったよな」と確認しながら今も調整とインプットをし続けている。

これは、「俺考えてまっせ!」という話ではない。分からない人間は、これぐらい考えて仮説を立てて情報を仕入れていかないと、同じ目線で話すことすら難しいという、苦悩の話。

だから、大学に入るまでかなり苦労した。大学からは、普通じゃない人と触れ合える機会が多くて、そこに縋ることでどうにか冬を越えられたようなもの。

やる気や熱量、学力、知識。仕事の合う合わないにおいて、名が挙がる素養はあるけれど、そもそも適応環境が違っているのなら、何がどうなっても合わない気がする。

魚は陸を走れない。人間は水中で呼吸できない。手足やエラがないと、最初から成立しないのではないだろうか。

魚の中にも、やる気や知識のある個体もいるかもしれない。では、その個体は陸を駆け回れるのか?

考えるまでもない、とは言わないけど、そこまで陸に拘ることもないわけで。しかしながら、陸でしか過ごしてない魚は、海を知り、水を知り、エラがあることを知ってなお、海に出られずまごついている。

情けないけど、それが現状だ。

あーだこーだ言いながら、僕も同じなんだよな。だからこそ、ここにいる。

それを知るためなのか、それともまだ得るべきものがあるからなのか。どちらも違うかもしれないし、どちらもあるのかもしれない。

いろいろと分からなくなってきたけれど、唯一分かっているのは、やっぱり、息苦しい。

sponge

**

ギリギリネガティブに入らない状態で踏み止まってるけど、読み直してみると、結構キテる(笑)

ままならないね。人生。

いつか美味しい実がなることを祈ろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?