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「やめたい」と「やめたくない」の狭間で戦い続けた12年間。その先に訪れた、自分の「弱さ」を受け容れた瞬間。

アスリートが向き合う「強さ」と「弱さ」。

「もっと速く」「もっと遠く」「もっと強く」を求めながら、「辛い」「休みたい」「こんなもんでいいか」と頭の中で囁かれる「弱さ」に打ち勝っていく。

特に陸上競技は「走る」という人間の根源的な営みです。それゆえ、人間の体力が剥き出しになり、如実に「強さ」と「弱さ」が醸し出されます。

そんな陸上競技の中でも過酷なのが、長距離走。

『長距離走の人は、真面目でストイックな人が多いんです。』

そう語るのは、12年ものあいだ1500m・5000mを中心に長距離ランナーとして第一線で活躍した森川千明さん。全日本選手権3位の入賞経験や、1500m日本歴代9位のタイム保持者でもあります。

彼女も多くの長距離ランナーと同じく、ストイックに努力を重ねたアスリートでした。

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1500m・5000mトラックで活躍した森川千明さん

自分の「弱さ」と向き合い、戦うアスリート。その苦しみは尋常なものではありません。森川さんもそんな苦しみを味わった1人でした。

いつも「辞めたい」と思っていた。でも辞められなかった。

葛藤しながら走り抜いた「アスリート」としての12年間。引退後も、マラソンに挑戦し「走る」ことを続けています。

引退した今もなお、走り続ける理由とは?

森川さんの「アスリート」としての軌跡と「ランナー」としての今を追います。

貧血で土手から転落

森川さんは新潟の高校でインターハイに出場。卒業後の進路に悩むも「自分から『走ること』を取ることはできない」と思い、実業団へ進みます。大学進学を選ばなかったのは、地元の大学に強豪校が少なかったからでした。

最初の転機は実業団1年目の秋。監督が交代し、厳しく体重管理をするスタイルへと転換しました。

そんな中、ある日の練習で川沿いの土手から転落。原因は極度の貧血でした。通常時のヘモグロビン平均値が12、その時の森川さんの数値は7まで低下していました。ドクターストップがかかります。

原因は過度な食事制限でした。

陸上のアスリートがほぼ全員行うという食事制限。この貧血の経験から、森川さんは指導者との対話ができていれば状況は変わったかもしれないと振り返ります。

『監督が厳しかったので、どうしても食べるのを我慢するしかなかったんですよね。自分が溜め込んでしまった部分もあって。

食べることが悪いわけじゃないし、「ちょっと体重が増えてきたんじゃない?ちょっと食べるの我慢しようよ」みたいなコミュニケーションができればよかったのかな…と思っています。』

「勝つこと」「記録を出すこと」が当たり前に

貧血から復帰して2ヶ月後の全日本実業団ジュニアでは、なんと優勝を飾ります。この勝利から記録が右肩上がりに伸びていき、それに呼応して周囲の期待も膨らんでいきます。

『自分も周りも「勝つこと」「記録を出すこと」が当たり前、という感じになっていました。』

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周囲の期待を、誰よりも敏感に感じ取っていた森川さん。「変に真面目すぎるところがある」と自らを評するように、元来持っていたストイックさに拍車がかかってしまいます。

『毎日毎日、追い込まなくてもいいところまで、自分で追い込んでいたと思います。』

呼吸が上がることが怖い

そんな中、異変が起き始めたのは実業団4年目を終える頃。

いつも通り練習をしていた森川さんに突然、経験したことのない「恐怖」が襲いかかります。声に自然と力が入りながら、当時の状況をこう振り返ります。

『走っている時に、急に「呼吸が上がることが怖い」と思ってしまったんです。走ってゼーゼーすることに恐怖を感じちゃって。そこから過呼吸を起こしてしまったんです。

「怖い、走りたくない」「もう走れない」という状態になって。監督に「落ち着きなさい!」と言われるんですけど「もう死んじゃう!」「触らないで!」という感じで…パニックを起こしていました。

過呼吸は落ち着いたものの、たった「1キロすらも走れない」状態に。「走る」ことが仕事のアスリート。しかし「走る」こと自体、できなくなってしまったのです。

騙し騙しに何とか走るも、試合を終えると緊張の糸が切れ、走れなくなってしまう。その繰り返しが2年ほど続きました。

なんで逃げなんですか?

過呼吸によって初めて生まれた「恐怖」は、徐々に「嫌悪」へと姿を変え、森川さんを苦しめます。そして「競技から離れる」という選択肢が頭をよぎるようになります。

『実業団3年目までは一生懸命頑張るのが「当たり前」。苦しいのを我慢するのは「当たり前」だったので、「辛い」という感じではなかったんです。でも、過呼吸を起こしてから「やめたい」「辛い」という感情が出てきました。

そして実業団6年目の夏、ついにその選択肢を選びとる決断をします。しかし監督の返事は「それは逃げだと思う」という言葉でした。

『「なんで逃げなんですか?今日辞めるって言ったわけじゃないし、ちゃんと期限を決めて「ここまで頑張って辞めます」と言っているのに、なんで逃げなんですか?」と泣きながら言いましたね。』

その後「いつでも待っているから、少し休んで考えなさい」という監督の言葉もあり、夏に2ヶ月間の休養を挟み、冬の駅伝へとまた走り出します。

しかし、「辞めたい」という気持ちは変わらず。

駅伝を終えた後、再び半年間の休養を取る決断を下しました。

「辞めたい」と「辞めたくない」の狭間で

競技から離れて半年後、再び森川さんは走り始めます。しかし「走る」ことに対するネガティブな感情を払拭したわけではありませんでした。

『辞めるのは今じゃない…と自分に言い聞かせる日々でした。』

「辞めたい」と「辞めたくない」の狭間で、森川さんを「走る」ことに繋ぎ止めていたものは何だったのか。

『「辞めたい」と言葉では言っていたけど、辞めることが許せない「何か」があったと思うんですよね。自分の弱いところを感じていて、そこを認めたくなかった。

逃げたくなかったし、チームメイトにも負けたくなかったんです。先に辞めたら「一抜け」みたいな感じじゃないですか。』

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葛藤を抱えながら、ただただ前に走り続けます。復帰して2年後の日本選手権(オリンピック選考会)で3位に入賞。そして次の年の開催地は、なんと地元の新潟。「これは『辞めるな』ということなのかな…と思いました(笑)」と森川さんは振り返ります。

さらに2016年には「最後の挑戦をしたかった」と、強豪ユニクロへ移籍。「ここで結果が出なければ引退する」という覚悟で走り続けます。

そして同年の全日本実業団選手権では、1500mで日本歴代9位のタイムを叩き出します。

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2016年の全日本実業団で日本歴代9位のタイムを出した直後の写真。後輩とのツーショットでお気に入りの写真なのだとか。

最後の最後まで自分と戦い続け、タイムも伸ばし続けていきました。

「弱さ」もあっていい

「辞める」という土俵際で、自分と戦い続けた12年間。

数えきれないほど考えたであろう「引退」の2文字を決断したのは、何度も何度も克服しようとした自分の「弱さ」を受け容れた瞬間でした。

『オリンピックが近づいてきていて、今より記録を求めて自分にストイックになれるのか…と考えた時に「難しいな…」と思ったんですよね。

その時に、ずっと自分の「弱い」部分を責め続けてきたけど、「強い」部分もあったから、ここまで続けられたんじゃないかな?と思ったんです。30歳までがんばったんだって。

そんな自分のことを認めてもいいんじゃないかなと。「弱さもあっていいじゃん!」と思えたんです。

誰よりも自分と戦い、戦い抜いたからこそ降りてきた感情。自分の中にある「弱さ」を認められた瞬間は、これまでの自分との戦いを肯定できた瞬間でもありました。

まだ走れる。第一線で戦えるだけのコンディションは維持している。しかし、森川さんは「アスリート」としての自分に別れを告げました。

市民ランナーの方々のほうがすごい

森川さんは、現役引退後も「走る」ことを止めませんでした。「アスリート」としてではなく、いち「ランナー」として。

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引退後、マラソンに挑戦している森川さん

そこで出会った市民ランナーの方々に対して、「アスリート」だった自分とは違う側面で、尊敬の眼差しを向けていました。

『実業団の選手は、走るための時間をもらっています。でも市民ランナーの方々は、自分で走る時間を作っている。自分のお金でシューズを買って、中には睡眠時間を削ってまで走っている方もいて。純粋に市民ランナーの方はすごいなと思いました。

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現役時代、誰よりもストイックに自分と戦い続けた代償として、忘れてしまった感情。しかし、その感情を思い出す手がかりを市民ランナーの方々から得られたと語ります。

『市民ランナーの方に「なんで走ってるんですか?」と聞くと、「楽しい」「好きだから」という返事が返ってくる。「走るのが好き」って聞いて、自分も励まされました。

正直、いま「走るの好きですか?」と聞かれても「んー…」と考えちゃいます。

でも、市民ランナーの人たちと走っていると楽しいし、市民ランナーの方々のおかげで「楽しい」「好き」という気持ちを少しずつ思い出せた気がしています。

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速さを求めることだけが「走る」ことではない

そしてなんと、昨年の東京マラソンでは自己ベストを更新。

現役時代に誰よりも自分と戦い、一度は「走る」ことから離れようとした森川さんは、「走る」ことをより多くの人に続けて欲しいという願いを持っています。

『「走る」ことって誰でもできることだけど、私の周りには「辛いからやりたくない」という人がすごく多いんですよね。

「気楽に走って行こうよ」と誘っても「えー走るの?嫌だ」と言う人が多くて。「ヨガだったら行ってみようかな」みたいな(笑)。

日本人は「速さ」という記録に固執するけど、海外の人は純粋に楽しんでいます。「走れた!」っていう達成感で気持ちよかったりとか、楽しいし、明るくなるんですよね。ポジティブになれるし、健康にもなれるし。

私自身も、子供の頃から長い時間をかけて走ってきたのに、この先走らなくなったらもったいないな、という気持ちも芽生えました。』

結果を追い求める「アスリート」ではなく、純粋に走ることを楽しむ「ランナー」として。

「走る」ことは、かつてとは少し姿を変えて、今も森川さんの真ん中に居続けています。

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(インタビュー・執筆:中村 怜生|サムネイル画像:Yuko Imanaka)

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